夜間飛行

丸をください

アップルパイ

バレンタインである。非キリスト教国資本主義経済社会に乗っかって、今年もアップルパイを焼きました。

 

なぜチョコレートではなくアップルパイなのかというと、「チョコをたくさんもらって食べ飽きたころに出てくるアップルパイはポイント高いだろう」という計算をした結果です。女子高のバレンタインはお菓子が飛び交うから、普通にチョコだと埋もれてしまうのです。もうこんなあざとい目論見をする意味はどこにもないけど、惰性で今年も焼いた。そう、惰性。今年はお菓子をプレゼントすべき相手もいない(もう彼氏のためにバレンタインをやるのはたくさんだ)。実家住まいもあと1年くらいになりそうな娘として家族のために、そして毎回焼くだけ焼いて、自分の口にはついに入らないわたしのために、惰性のアップルパイをつくった。

 

嘘です。父親にあげると来月ゴディバか何かになって帰ってくるからです。惰性には投資の意図も混ざっています。

 

高2、大2に引き続いて人生で三度目のバレンタイン・アップルパイは、牛乳400mlと卵黄3つ使ったカスタードクリームをこれでもかと敷き込み、その上にりんご2個分のフィリング(シナモン・レモン・バターを入れて、コクと酸味を出している)をどっさり入れて、さらに大きめに切ったりんごのコンポートを載せるといういまだかつてない超豪華三層仕様。年を重ねるたびに豪華になっていく。

 

さっき家族で食べたんだけど、切り分けるとカスタードクリームがあふれ出してくる。コンポートも歯ごたえがいい感じだ。フィリングもしっかり煮詰めた甲斐あってりんごのあまみがぎゅっと濃縮されている。一切れ(四分の一)800円くらいで売りたい。手間も材料費もかかっている。ただし愛情はプライスレス。プライスレスだからわたしはアップルパイを焼くし、手間は惜しまない。

 

高校2年生の時はパイを2ホール焼いた。1つは先生と友達に配る用、もう一つは彼氏用。一口サイズのお菓子をみんなに配る子も多かったけれど、わたしは仲良しの子や「推し」の先生にリソースを集中投下する戦略。前日の夜10時過ぎから焼いて、2時ごろまで掛かって焼き上げた記憶。この時はまだ煮たりんごを詰めただけのシンプルなパイだった。

 

ケーキを入れる箱に入れて学校まで持っていく。駅から学校までの道にも、わたしと同じようにお菓子を入れた袋を持った子たちが何人も歩いている。学校につくとそこは祭りであった。わたしの担任は当時20代で、女子高基準ではかっこよく、さわやかな感じで他学年、他クラスの子たちから大モテにモテている。(残念ながら自分が担任やってる生徒にはモテないようである。)うちのクラスに知らない子たちが押し寄せてくる。

 

廊下では、生徒からの信頼の厚い現代文の女性の先生が両手にお菓子を大量に抱えながら歩いている。多分この日誰よりもお菓子をもらったのはこの先生だろう。歩きながら先生の腕にはどんどんお菓子が増えていく。自分の受け持ちの生徒からは全くモテないわたしの担任をしり目にがははは!!!と楽しそうに笑っていた先生。

 

タッパーに詰めたクッキーを配って歩く子、チョコレートの大袋からみんなに分けてくれる子がいる。意外な子から手の込んだものをもらったりする。コロナ禍の女子高生たちはどうしているのだろうか。お菓子交換で盛り上がる学校の雰囲気が、大好きだったし、話を聞けば阿鼻叫喚トラブルの元にしか思えない女子大生のバレンタインよりもずっと平和で楽しかった。

 

わたしの「推し」の先生は、バレンタインにお菓子をくれた生徒の名前を控えていて、ホワイトデーにお返しをくれる、ようだった。しかしホワイトデーの日、わたしはお返しをもらうことはできなかった。どうやら自己申告制で「お返しください!」と言わないともらえなかったようだ。わざわざ放課後に残って自習しながら待っていたわたし、いじらしいしかわいそうすぎる。奥ゆかしい乙女をなんだと思っているのか。そんな催促なんて厚かましいこと、できるか!!

 

当時の彼氏にもパイをあげた。放課後にドトールで待ち合わせをして。月一回しかデートしない間柄だったが、今思うとなかなかかわいらしい恋をしている。たしか弟にさんざん自慢しながら食べてくれたらしい。お返しに一年目はクッキーの詰め合わせ(うちの父親に全部食べられた)、二年目はお手製のお菓子(これも父親に大方食べられた)をもらった。今思うとなかなかかわいらしい趣味をしている。彼がこのブログに登場するたびにいつも言っているが、どうかわたしのいない街で幸せに生きていてほしい。

 

あの頃みたいな素朴なバレンタインはもう二度と戻ってこない。女子大生のバレンタインはほんとにろくな話を聞かない。

 

友達の「彼氏が最悪!お返しにドンキで好きなものなんでも買っていいって最悪すぎん?元彼はDiorだったよDior!!!!」という魂の怒りに本気で同情し、一緒に怒っている。多分だけど、彼女はプライスレスの愛情をプレゼントしている。返してもらうものの金額自体はそこまで気にしていない。ただ、「何をあげたらこの子は喜んでくれるかな」と考えてくれる時間が欲しいのだ。それだけなのだ。その正解が彼女の場合Diorのリップだったわけであって。

 

「自分のことを考えてくれた」なら彼女の普段の言動を振り返って好きなものやほしいものが見えてくる。「好きなものをなんでも」というのは寛大なようで、相手のことを考えることを放棄している。彼氏をただの財布視している人はそれでいいのだろうが、そうじゃない人は、そうはいかないようだ。なんだかきれいごとのようだが贈り物の本質は値段じゃなくて、ハートだ。君のハートこそプライスレスで、彼女が求めてやまないものであると、もしかしたら彼女へのお返しに頭を悩ませている人がこれを見ているかもしれないので、何かのヒントになればと書いておく。あと元カノとかお母さんとかと比較するな。

 

去年のアップルパイはグラニースミスの「イングランド・カスタード」に感動したので、カスタード入りを焼いた。これも夜から作り出し、途中で卵がないのに気づいて近くのドラッグストアまで買いに行き、これもまた深夜まで掛かって作った。年1で作るか作らないかレベルなのでちっとも段取りがよくならない。前はダイソーに売ってたはずのパイ皿が売ってなくて、仕方なくタルト型で焼いた。母親が大昔から使っているもので、「Made in W.Germany」の刻印が入っている。これを見るたびに、西ドイツとかソ連が当たり前に存在していたそう遠くない時代に、ちょっぴり思いをはせる。

 

次の日、太平洋ベルトの、彼が住む街まで届けに行った。品川駅で、はじめて乗る私鉄の乗り方が分からずに大混乱した。どう改札を入って、どの電車に乗ればいいのか混乱しながら、みんな「特急」とか「快特」に乗っていて、こんなに特急料金を払う人がたくさんいるなんて、やはり東京はお金持ちが多いんだなと真剣に思った。この電車の「特急」とはJRの「快速」くらいの意味のものであることに気づくのはしばらく後のことである。

 

海なし県民だから、駅を降りた瞬間海が近いのだと気づく。海は見えないが、海が近いとわかる。リゾート地とは違う、工業地帯の海の匂い。わたしは太平洋ベルトの匂いと呼んでいる。電車から見える地形、川の雰囲気、空の色、どれも海なし県とは違う。おそらく今後一生わたしは関わり合いにならないであろう街だが、太平洋ベルトの匂いだけは覚えていると思う。

 

ちなみに去年の2月14日は友達とスキーに行っている。一昨年の14日は山登りをしている。今年の14日は、一昨年のこの日に友達になった子と、「友達になって2年記念日」と称したふざけた記念日としてフレンチを食べに行く予定だったが、彼女は今とても頑張っていて忙しそうだ。フレンチは春までお預けだろう。時間がたつのはあっという間だ。どんどん自分も周りも変わっていく。わたしの惰性アップルパイは、不変でいられるのだろうか。