夜間飛行

丸をください

シャーリーとビビディと私

原宿の竹下通りを脇にそれると、フォンテーヌ通りという道があります。年中外国人観光客と中学生でごった返している竹下通りと打って変わって(原宿は大きい通り以外驚くほど静かなのですが)、落ち着いた文化の香りのする通りです。竹下通りをロリィタで歩くと無邪気な外国人に盗撮されるので(マジです)ラフォーレ原宿に向かうとき、わたしはブラームスの小径とフォンテーヌ通りを抜けて明治通りに出ます。

 

この通りにシャーリーテンプルという、とても、とてもかわいい、しかしお値段は全くかわいくない子供服屋さんがあるのです。ここの前を通るたびに、ショーウィンドウの奥にとっかえひっかえ試着しているかわいらしい女の子を見出すたびに、見るからに娘に甘そうなお父さんが紙袋いっぱいにお洋服を買っているのを見るたびに、シャーリーテンプルを着せてもらえなかった小学生時代を思い出しては胸がぎゅっとなります。

 

シャーリーテンプルを着たい!というおねだりが聞き届けられ、百貨店まで行ったのはよかったのですが、お値段のかわいくなさが母の想像を超えたようで、結局うやむやにされたまま、シャーリーテンプルは買ってもらえませんでした。シャーリーテンプルどころか、メゾピアノポンポネットもあんなに着たかったのに、GAPとユニクロで育ちました。今は亡きマザウェイズは安かったので買ってもらえました。別に好きじゃなかったのでなんの問題もなかったのですが、ピンクラテもラブトキシックもレピピアルマリオも袖を通したことはないです。今21歳なのですが、あの頃のイケてる女子小学生はみんなピンクラテを着ていましたね。平成を感じます。

 

もうひとつ。ディズニーランドホテル内にはビビディバビディブティックというお店があります。要するに普通の女の子を魔法で小さなプリンセスにしてくれる場所なのですが、パークにいる同じ年くらいの女の子が髪をきれいにセットしてドレスを着て、お化粧して、魔法をかけてもらった証のサッシュを肩にかけているのがうらやましくてうらやましくて仕方がなかったのです。彼女たちのまとうドレスは、その辺のおもちゃ屋さんに売っている「なりきりセット」みたいなドレスとは明らかに違っていました。デザインの正確さや質の高さ、圧倒的なかわいさを子どもながらに感じたのです。

 

これもやってみたいというお願いが承知され、ともかくもお店に行ってみることになりました。しかしですね、魔法には高い代償がつきものでございます。またもうやむやになってしまいました。わたしがあまりにもふてくされてしまったので、靴だけここで買ってもらって、次のハロウィンで手持ちの水色のワンピースに、母が作ってくれた白いエプロンと併せてアリスになりました。靴だけ手に入っても、どうしようもないのです。魔法をかけてもらってシンデレラになって、気取ってカーテシーをするところまでやりたかったのです。

 

別に両親を悪くいうつもりはないのです。いろいろあったなかでわたしを一生懸命育ててくれましたし、すぐにサイズアウトする子ども服にそんなにお金をかけていられないという事情もわかります。でもですね、いくら子ども相手でも安請け合いはするべきではありません。わたしだってわがまま娘ではありましたがそこまで聞き分けのない娘だった覚えはないので、ちょっと予算オーバーなんだよね、とか、その辺ちゃんと言ってくれたら多少ふてくされながらも了承するのです。じゃあ買いましょうかやってみましょうかとなってから、やっぱりダメ!ってなるのがよくないのです。うちの親はそういう安請け合いからの上げて落とすをやる節があります。省略しますが、これはお洋服に限った話ではないのです。

 

正直申し上げますと、幼少期のわたしはまったく可愛くなくて(薄毛・シジミ目・色黒・頬に大きな手術痕)、ひどいブスではないのですがなんとなくみすぼらしい、華のない子で、それはそれは愛くるしいお顔の妹と写る写真を見返しては、なんてみすぼらしい子どもなんだとがっくりしているので、その容姿で服だけかわいくてもみっともない、という親の判断なのかもしれません。それはそれで、正しい判断だと思います。実際、10歳くらいにスタジオアリスで撮った写真がいまだに我が家に飾られているのですが、パーソナルカラーという概念を導入した今なら一目でアカンとわかるド派手なローズピンクのドレスが全然似合ってなくて本体のみすぼらしさが際立っています。この写真捨てたい。覚えていますとも、やめたほうがいいという母の助言を振り切ってこのドレスを選んだのは、まぎれもないわたし自身です。

 

赤ちゃん~幼稚園時代のアルバムには、短い髪で、ズボン履いて男の子みたいな恰好をした姿ばかりのこっています。ブスにかわいい服を着せても…という親心なのか、単純に貰い物(とはいっても女の子に男の子用の服あげるのって広く一般に行われているのでしょうか)を着せてるだけなのか、シンプル・カジュアルこそ至高という親の趣味なのか、ZOZOTOWNとかなかった時代の田舎で服屋の選択肢がなかったからなのか知りませんが、とにかく少女趣味の服を親は選びませんでした。

 

最近ロリィタ服にバイト代をつぎ込みお財布は火の車、はたから見れば同じようなデザインのブラウスを買ってほくほくしています。(同じように見えますが、ボタンの形、綿レースの模様、袖口のレースのボリューム感、袖の形、シルエット、フロントの装飾、裾のフリルの有無、全部違うんですよ)なぜここに来て、客観的に見て不毛な買い物をしているのか考えていたのですが、子ども時代に満たされなかった「かわいい服を着たい」という心を、必死になって埋めているのでは、という答えにたどり着きました。三つ子の魂百まで、雀百まで踊り忘れず、我ながらこの執着心にびっくりしています。もちろん、かねてからのあこがれのお洋服を着て素直に楽しんでいる、という気持ちもたくさん持ち合わせているのですが、ロリィタを、BABYを着ることで、シャーリーを着れなかったあの日のわたしを救おうとしている気がするのです。

 

胸元に大ぶりの薔薇のケミカルレースと編み上げのリボンがついた、デザートワンピースという最高にかわいい名前がついたワンピースに、薔薇レースのブラウス(袖がパフスリーブになっていて、お花の形のボタンがついている)、同じレースが使われたヘッドドレスを合わせて、靴はヨースケの7㎝ヒールのメリージェーン、バッグはヴィヴィアンかMilkを持ちます。かわいいを手中に収めて、わたしは幸せなのです。

近況報告2023.10.18

最近カメムシがいるから気をつけろと言われ、干しあがった洗濯物を一つ一つハンガーでしばき倒し、カメムシが付着していないか点検しながら取り込んでいます。数年前、お布団がなんか臭いなと思って掛け布団をめくったらカメムシと目があったのがトラウマでございまして、カメムシの付着・家屋への侵入は断乎阻止せねばと頑張っているこの頃でございます。

でもこうやって洗濯物の取り込みに時間がかかったことで、Gの侵入を許してしまったようです。さきほどただならぬ気配を感じて辺りを見回したところ、G的な虫が天井にへばりついておりました。叫び声を聞いて駆け付けたわが勇猛果敢なる母親によって無事始末されましたが、人間の住処に這入ってきて堂々としているなんて、いい度胸をしているにもほどがあります。そして虫一匹にも太刀打ちできないわが身の情けなさよ(天井にいるやつは落ちるのか飛ぶのかわからなくて近寄れない)。一人で生きていけるというのはとんだ思い上がりでございました。やはり、人は一人では生きられないものなのかもしれません。

 

「大吉を引くと3か月以内に恋人ができる」というおみくじで見事大吉を引き当ててはや3か月、残念ながら恋人はできませんでした。それからまた同じおみくじでまたもや大吉を引きました。理想通りの人が現れるようです。おもしろいので彼氏いない芸人をTwitterでやっておりますが、全くもって新たに誰かを好きになる心境になれないので、おみくじが当たらないのも仕方ありません。きっと真面目にマッチング・アプリとか合コンとかに出会いを求めている人にはご利益はあるのでしょう。

先日親戚の結婚式に出席し、新郎から次はお前の式だなと言われ、久しぶりの結婚式に感化された母からお前はどんな相手とどんな式を挙げるんだろうね~と言われ、参っているのです。一応10年後、31歳のわたしは猫足バスタブのあるかわいいマンションに住み、お部屋にはアラジンのブルーフレームというストーブと大同電鍋を置き、趣味はウェッジウッドティーセット集め、ロリィタは卒業して全身Vivienne Westwoodで固めたヴィヴィ子として生きる予定で、配偶者はいない予定です。

ただ、Gの一件でわたしはG一匹すら倒せない、ひとりでは生きられない人間だと気が付いたので、誰かと一緒に暮らすための努力はしようかなという気になっております。こういう性格上、わたしを好きになってくれる人はものすごく貴重なので、まずは自分を好ましく思ってくれている周りの人々を大事にしようと思います。

 

なんでわたしはこんなにGが嫌いなんだろうといろいろ考えていたのですが、幼稚園のお泊り保育がG嫌いの始まりだったと記憶しています。お泊り保育、子どもながらにすごく嫌だったのを克明に覚えています。山奥のさびれ旅館に連れていかれ、味気ない夕餉に閉口した記憶があります。お風呂でPTAのお母さんが写真を撮っていたのも年長さんなりに恥ずかしく、しかも隣にいた子がはしゃぎすぎて顔に水しぶきがかかって目が開けられず、夜はだだっ広い真っ暗な和室で眠るのが怖く、泣きながら先生に抱きしめてもらって夜を明かしました。

そんなお泊り保育でしたが、一番嫌だったのがお手洗いでございました。山奥なので常になんらかの虫がいるのですが、寝る前にお手洗いに行ったらものすごく大きなGが悠然と歩いていたのが本当に怖くて、怖くて、洗面所(とはいっても家庭用の洗面台が数台並んでいる、旅館にしては粗末かつ不自然な洗面所)で子どもたちの歯磨きを見ている先生の所まで行って気が済むまで泣き叫びました。G好きな人なんていないでしょうが、人一倍苦手なのはこういう記憶もあるからなのだと思います。

幼少期の記憶とトラウマは馬鹿にならないので、子どもだからって、なめてかかっちゃだめですよ。

 

 

 

近況報告2023.9.26 眉毛・京都

お久しぶりです。人生最後の夏休みが本日をもって終了します。わたしにはもう、労働人生しか残されていません。本日は来月の内定式をはじめとしたイベントラッシュに向けて、眉毛サロンに行って、眉毛を毟ってもらいました。ミニモで2000円。わたしにはアナスタシアで大枚をはたく余力はありません。給料日前だからね。

 

高校時代に眉毛の手入れをなんの知識も持たずに敢行し、やらかした部分がいまだに生えてきません。そのためわたしの自眉は煉獄杏寿郎状態、若干二股に分かれ気味なのです。これがトラウマでもう何年も眉毛はいじってません。自眉が薄いのであまり気にならないのと、前髪で隠れるからまーいっかと、手入れを怠ったままここまで来てしまいました。

 

というわけでワックスを張り付けて、それを勢いよくひっぺがす作業により、眉がずいぶんすっきりしました。人工美です。毛はないのに、土台の筋肉はちゃんと動いているのが不思議な感じがします。大学にいる、眉の上辺がきれいにまっすぐな子ってどうなってるんだろうと思ってたけど、みんなこうやって要らない毛を引きはがしていたんですね。知りませんでした。けっこう痛かったです。剥がす瞬間はそうでもないけど、剥がしたあと長くじんわり痛い。眉毛がきれいな子たちは定期的にこれをやっていると思うと、尊敬の念を抱かずにはいられません。

 

眉毛はここまで放置していたくせに、先日医療脱毛の契約をしました。体中の毛穴という毛穴を抹殺していく所存。まぁまぁな額だったので総額をここに書くことは控えますが、まぁまぁな額を返すために、逃げずに労働人生に挑まなくてはならないことになりました。電車には脱毛とハゲ治療の広告が交互に並んでいます。誰かの要らない腕とかの毛穴を、頭皮に毛穴が足りない人のもとへ移植する技術とかないのでしょうか。土曜には美容院に行って髪を切り、そしてお金に余力があればまつ毛パーマを試してみようかと考えています。最近毛に振り回されている感じがしております。

 

もうわたしには労働人生、資本主義社会のちいさなちいさな歯車として生きる道しか残されておりません。資本主義社会に真実の愛はないような気がして、最近資本主義社会は本当に良い社会なのかについて思いをはせるようになりました。話がそれましたがそれでもまだ半年は学生でいられるようです。せっかくなので秋の気候の良いうちに旅行に行こうかと考えています。

 

先日中3の妹が修学旅行から、京都の匂いを持って帰ってきました。ニッキの生八つ橋が入っていた、カキツバタが描かれた古めかしい紙箱を眺めながら、わたしの心はすでに京都に飛んでおります。京都の思い出は、地図と格闘して乗る市バス(あまり観光客がいない路線に乗るのが肝)、桂川の川面、清水寺から知恩院、八坂神社まで歩きとおしたわが脚力、一条通の妖怪ラーメン、夜行バスで発つ直前に食べた、フランソア喫茶室のアップルパイ。

 

わたしは東京で女子大生やれてよかったと思っているけど、京都の大学生にもなってみたかったなと思ったりもします。四条烏丸西入ル、鉾町生まれのお嬢さん。(でも、実家は東京で、京都で一人ぐらしのほうが情緒があるかもしれません)ヘミングウェイは「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。」と言っているけど、きっと京都も、いつまでもついてまわる移動祝祭日なんだと思うのです。

 

 

なんだかんだ大学時代は毎年秋に京都に行っているので、今年もそうしようか、今年は奈良に足を延ばして、国立博物館正倉院展でも見てこようか、大阪の北浜レトロでアフタヌーンティーをして、新しい茶葉を試すのもいいかな、とも思っています。関西方面も行きたいですが、金沢と門司にも興味あり。ついでにそろそろジェットコースターに乗りたい。富士急かナガシマスパーランドのすごいやつ。ジェットコースター狂の恋人と別れてしまったので、もちろん新たなるボーイフレンドはいるわけもなく、友達も少なく(その少ない友達そろって絶叫マシン苦手なのです)、ひとりで行くしかない。ひとりでドドンパに乗る図は、さすがにシュールな気がするので、どうしようかなと迷っております。

 

歌舞伎町AM5:00

この世の終わりとは、早朝の歌舞伎町の状態を指すのではないでしょうか。

ゴミが落ちまくっている汚すぎる道、道端に積まれたゴミ袋の間を通り抜ける太った鼠、鳩、座り込む酔っ払い、と酔っ払いに水を飲ませる良心的な子、お疲れ気味のホストの皆さん、まだ営業してるお店から響く、調子はずれな歌。外はもう明るくなり始めているのに、まだ真夜中を引きずっている街。この世が終わって新しい世界が始まっているのに、いつまでも旧世界を彷徨う亡者の姿です。この街は夜明けが日暮れ時に見えるほど、朝が終末を感じさせます。

 

8月某日、わたしはよれよれの格好で朝5時の歌舞伎町を散歩しておりました。半日着用したカラコンで眼球は限界を迎え、アイラインは片方消失しもう片方は滲み、眠い目を無理やり開け、髪の毛は湿気にやられてごわごわ、一晩中飲んでアルコールの抜けない頭は思うように働いてくれません。こんなに最悪な歌舞伎町にも平等に訪れる、朝の、やや冷涼な気配には似つかわしくないよれよれの、夜を引きずった姿でございます。

 

意外と箱入り娘で、しかも21時には帰りたい人なので、実は朝の歌舞伎町を歩いたのはこれが初めてです。もっと言えば、最近は原宿の人間になったつもりでいたのでこの街に来ること自体も久しぶりでした。4月の大久保公園でケバブ食べてたら立ちんぼに間違えられたとき以来。

 

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まーた立ちんぼに間違えられてしまいました。しかも今度は大久保公園ではなく東宝シネマズ前。夜の8時とか9時頃の話です。この街では立っているだけで、街娼だと間違われてしまいます。間近でじっと品定めするおじさんの視線が気色の悪いこと悪いこと。そのおじさんがうちの近所で犬の散歩でもしてそうな普通の、どこにでもいるおじさんなのです。大久保公園に屯する、どこかつるりとした質感の脂肪質のおじさんも気持ち悪いですが、こういうありきたりなおじさんも買春するのか~というのもなかなか生々しくて気持ち悪いですね。

 

でも、どうやらわたしもストリート・ガール的な風情を醸し出しているのではないか、という指摘を受けました。ごもっともです。ミニスカート、大きなカバン、あてどなく人待ち顔で(だって本当に人を待っていたのだもの)立っていて、というのは確かにそれらしい感じに見えなくもない。普段使わない青コン入れて、涙袋コンシーラーを駆使した、個人的には最先端の技術で顔面を塗装し、久しぶりの夜遊びに気合を入れて準備した、6人目のnew jeansのつもりでいたので(多分ニュジの皆様方は涙袋そんなに作ってないけど)、心外な話です。

 

夜の歌舞伎町ももちろんこの世の終わりのような場所ですが、朝の終わり具合とは質が違うのです。夜は夜で、シネシティ広場には血まみれのルーズソックスをはじめとした諸々が散乱して、ガルバの客引きがたくさんいて、大久保公園にはおじさんが女の子たちを物色していて、ぜったいおいしくない居酒屋に連れていきそうな客引きがいて、様々な騒音と光が氾濫していて、といった具合なのです。でもこれはこれで、一般社会との比較では無秩序で終わっている場所ですが、この街なりの秩序や生命力が感じられるのです。朝の、取り残された、滅亡後の世界みたいな静けさとは別物なのです。

 

朝に話を戻しましょう。前の夜から、ずっと地下のお店で飲んでいました。歌舞伎町を歩いて早3年が経ちましたが、まだまだ知らない場所ばかりです。そこで薄い、薄いハイボールをおじさんかよと言われながらも飲み続けておりました。先ほど申し上げた通りその日のコンセプトは6人目のnew jeansなのにおのののかに似てると言われてしまいました。酔っ払いの目は節穴なのでしょうか。別にわたしはおのののか氏とは全く似ておりません。強いて言うなら丸顔なくらいです。

 

地下なので外の様子もわかりません。きっとこの建物で火事があっても、何も知らないままで焼死しそうです。途中で抜け出して、夜じゅう営業してる珈琲貴族エジンバラでも行ってみようかと思っていたのですが、思ったより話が弾んでしまい、夜明けまでここで過ごすことに相成りました。

 

5時に外に出ましたが、一瞬朝ではなくて夕方なのではないかと思ったのです。舞浜にあるイクスピアリを、ご存知でしょうか。もう10年は行っていないので今はどうだか知らないのですが、イクスピアリの内部はいつでも夕暮れなのです。紫色の空が天井いっぱいに広がっていて、電飾が煌々と光っていて、時間の感覚をなくしてしまいそう。朝が永遠に来ないような気がしてくる暗い雑居ビルの地下から、地上に出たらやや薄暗くて、ホストクラブのネオンが点っていて、その光量の差と、空とネオンの組み合わせの夕暮れ時のような、人工物っぽい取り合わせにイクスピアリの作り物の夕方を感じたのです。

 

地元に戻ってくる頃には7時、すっかり朝になってしまいました。普段なら目が覚めるころです。地元の駅ではこれから仕事や学校に向かう、ぱりっと身支度の整った人がたくさん、歩いています。東京へ向かうその流れに逆らいながら、地元の朝がこんなにまぶしくて、正しくて、清潔なものだったことに気づきました。これから一日が始まる人たちの中で、アイラインの滲んだ、さわやかな朝には不似合いの、一目で遊んできた帰りとわかる姿をさらしながら、早く家に帰って寝たいということしか考えられず、もう一晩中お酒を飲むことはしまいと、とりあえず誓ったのです。

 

 

結婚

結婚。最近結婚のことを考えています。長いので要約すると、「ロマンチックラブイデオロギーから抜けたい」という話です。

 

うちでは平日のお夕飯を作るのがわたしの分担になっています。先日はステーキを焼きました。我ながらかなりうまく焼けたので調子に乗ってコツをお教えいたしますと、お肉を焼く1時間前くらいから冷蔵庫から出して室温に戻し、両面に切れ込みを入れ、焼く直前にマジックソルトをすり込みます。焼くときは強火でさっと焼いてしまいます。そのあと、アルミホイルに包んで休ませると、いい感じに、中がすこし赤くて柔らかいステーキになります。

 

ウェルダンなんて、食えるか!みたいな家なので、うまい具合に焼けると家族に褒められます。母親にも私が焼くよりうまいじゃない、これならいつでも彼氏に手料理をふるまえるよ!と褒められちゃいました。困りました。わたしには恋人はいません。最近、こんな感じの母親の圧力が頻繁にかかってきます。困ります。わたしまだ21(もう21⁈)です。はやくいい彼氏ができるといいね!とか、あなたはどんな人と結婚するんだろうね、とか、この家からいなくなっちゃったら寂しいね、とか、新しいコミュニティに入って彼氏を見つけなさい、とか。果てはあなたの子どもの面倒は見るから仕事は辞めちゃ駄目よ、とか。

 

わたしのことを気にかけてくれているのはよーくわかるのですが、正直放っておいてほしいのです。恋人なんて、できるときは何の苦労もなくぽんとできるし、できないときは何をどうやってもできない。それに、まだ21の小娘に子育ての話をされても、どうしようもない。

 

それに、考えすぎでしょうが、旦那とか彼氏に食べてもらうために作る♡みたいなノリは「僕食べる人、私作る人」感があって、あまり好きではありません。自発的な愛情の発露ならともかくも、他人にとやかく言われたくありません。どうせなら君の手料理がたべたい、じゃなくて俺の作った飯食いに俺の嫁に来てくれないか、と口説かれたいのです(?)そんなナヨッチィ人、要らぬわ!他人に自分の糧を悪びれもせずに、作らせるな!

 

そう、放っておいてほしいのです。わたしは、ロマンチックラブイデオロギーから抜けたいのです。あなたもいつかは運命の、素敵な人と巡り合って幸せな結婚をして、子どもを持つのよ、これからの女はキャリアも当然両立させないとね、という正解の筋書きに、多分ついていけない気がするのです。運命がなんだ、安定がなんだ、遺伝子の継承がなんだ、そんなに偉いのか。「実らなかった恋」って、そんなに残念なものなんでしょうか。せっかく実っても、いずれは腐ってしまうのですから、いっそ実らない、徒花のような恋のほうが、美しくはないでしょうか。

 

経験上、わたしはすべての成功を手に入れられるほど器用ではありません。今までも何かを得るためには何かを失わないとだめでした。仕事の成功か、ロマンチックラブイデオロギーへの祝福された収斂か、それか、もっと別の、こんなのアリかよーっていうような、誰にも理解して貰えないけど、それでも自分は幸せで、絶対に手放したくないほど尊い何らかの存在を抱きしめ続けるのか。多分わたしはそのうちのどれかを手に入れることができるでしょうが、おそらくは勝ち取ることが叶わなかったものへの後悔はうっすら抱えて生きていくことになるはずです。

 

とにかくわたしといたしましては、ロマンチックラブイデオロギーに巻き込まれても巻き込まれなくてもよいように、立派に稼ぐ女になることを目指しております。社会的、経済的な立場の安定のために結婚するなんで、ごめんなのです。もしわたしが32歳とかになって、周りがどんどん結婚して子どもなんか生まれていて、自分はもちろん独身で、焦ってお見合いアプリで見つけた、そこそこのスペックの人とそれなりに結婚していたら、情けない。多分相手もまぁこいつで妥協しとくかーみたいな感じでしょうし、蛇蝎のごとく嫌っていたアプリに手を出しているし。

 

そうなんです。わたしはマッチングアプリが大嫌いでございまして、あんな性欲の集積場にわが身を置くくらいならば、安アパートでBABYのお洋服を着て死んでいるのを管理人ロボットに発見されるほうが全然いいのです。マッチングアプリという美名を与えられた「出会い系」を使うくらいならば床のシミになるほうがマシというもの。友達が使っていてもなんとも思いませんが、自分は絶対にやりません。以前、焼肉屋さんでマッチングアプリの悪口で盛り上がっていたら、隣の夫婦がすんげー気まずそうな顔してたよ、と後から同行者に言われて心底肝が冷えたので、マッチングアプリの悪口はこれくらいにしておきましょう。結構みんなやってますからね。

 

大体、安定とはつまらないものです。安定、正解、外聞、スペック、ロマンチックラブイデオロギーは、純愛なるものを全面に押し出していますが、結局はそういう世間体みたいなのを守る装置ではないでしょうか。それはもちろん、わたしも婚礼に夢を見ますが、現実を生きる人間は、シンデレラみたいに王子様と結ばれて目出度し、目出度し、というわけにはいきません。常に解雇、不倫、病気、などのリスクと隣り合わせの生活です。経済的な安定、とか社会の中で立場を固める、みたいな思惑混じりの関係は、こういうリスクにぶつかったとき、辛くはないでしょうか。

 

人間は一人で生きて一人で死んでいきます。わたしは他人の人生に責任を持ちたくないし、誰かの人生に巻き込まれたくないのです。結婚とは人生の最小行動単位が2になる契約のこと。自分は自分で己の生を一人で全うします。自分の尻拭いは自分でしたうえで他人と関わりたいのです。「人」は支えあう二人の姿だよ、っていうのは嘘。力強く大地を踏みしめて立つ、人間の両足を象った文字です。

 

一緒に死んでくれる人でなければ嫌(あれ、さっき人間は一人で死ぬって言ってなかったかい、矛盾しているね、どうしようね)。なんだかんだわたしはちゃんと生きようとする人間なので実際にするかどうかは全く別の話になりますが、一緒にこの世に絶望して心中してくれるような気概のある人がいい。しわしわになるまで添い遂げなくても結構。それくらいの緊張感のある丁々発止のやり取りが、ロマンチックラブイデオロギーよりも、マッチングアプリよりも、恋愛をより文化的な大恋愛に昇華させてくれるのではないでしょうか。違いますでしょうか。ほんとうに、親不孝な娘でございます。

夜来香

「夜来香」の香水を探しています。「よらいこう」ではなく、「イエライシャン」。山口淑子が「あわれ春風に嘆くうぐいすよ 月に切なくも匂う夜来香」と歌っている、あの夜来香です。この世にはこれが夜来香だといわれているお花が三種類、トンキンカズラ、チューベローズ、イランイラン。一般的にはトンキンカズラのことを指すようです。

 

トンキンカズラは黄色い、夏に咲くお花です。あら、山口淑子は「夜来香」は春に咲く白い花だと歌っています。トンキンカズラもイランイランも黄色い。この歌で歌われている夜来香は、チューベローズのことなんでしょうか。でも、チューベローズは6月に咲くお花。6月を春というにはやや無理がある気がします。

 

とりあえず「夜来香」=チューベローズということにして、手持ちの一番チューベローズがしっかり入ってそうな香水をかいでみます。箱に収まったまま長い眠りについていたガブリエルシャネルエッセンスを引っ張り出してきました。

 

これは去年の5月にわたしの手許に来たきり、もったいなくてほとんど使わずに大事に、大事にしてきた、手持ちの中で唯一のシャネルの香水です。多分、死ぬまで大事に大事にし続ける。好きな人と初めてのデートをするときとか、ここぞというときに使って、3年で1mlくらいずつ減っていく。そして瓶の中身が空っぽになった時、わたしの精神は死に、俗世間にお別れするのだと思います(?)。50ml入っているので、このペースだとあと150年生きねばなりません。もう少し頻繁に使ってもよさそうですね。

 

「エッセンス」は普通のガブリエルの10倍のチューベローズが入っているそうで、両の腕に抱えきれないほどの白いブーケの匂いがします。とってもいい匂いですが、「夜来香」という文字列からわたしがイメージするのとは違う気がします。もっとひそやかで、妖しげで、オリエントの匂いがするはず。チューベローズの花言葉、「危険な関係」が似合う、「上海異人娼館」の咲耶や「若き仕立屋の恋」のホアがつけてそうな匂い。春に咲く想像上の夜来香、後ろ暗さを湛えた東洋のチューベローズの香水を探しに、新宿伊勢丹にでも行きましょうか。つきぬ思い出の花は夜来香。

 

 

夜来香

夜来香

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東京に汚染されている

悪趣味なので、何かに凝るほどにどんどんセンスが変な方向に磨かれていきます。大抵の女子大生というものは、東京に磨かれて、芋から垢抜けた美人に成長します。わたしは残念ながら洗練された女になれませんでした。磨かれるどころか、東京でいろんなものを見て汚染されました。ただの芋のほうがマシ。ロリィタを着て、着物を着て、前髪はぱっつんだし、香水はシプレが好きだし、ブランドのバッグとか持ってません。おとなしくスナイデルを着て、ミスディオールブルーミングブーケをつけた前髪の薄い、ケイトスペードのバッグ持ったスタバでバイトしながらアナウンススクールに通う女子大生になるべきだったかしら。

 

そんな女子大生になったら、体育会系の部活に入ってるさわやかな陽キャと付き合って、友達の誕生日は夜景のきれいなホテルの壁中にバルーンを飾ってお祝いして、総合商社に一般職で入って、学生時代から付き合ってる陽キャと結婚して、豊洲のタワマンに住むんだ。婚約指輪はハリーウィンストンで買ってもらうんだ。式場はリッツカールトンにしましょう。子供は幼稚園からエスカレーター式の私立に入れるんだ。実際のわたしはchatGPTのせいで消滅しそうな仕事に就く予定だし(でもどうしてもやりたい仕事なの)、さわやか陽キャとは無縁だし、タワマンはこのままだと将来老朽化・インナーシティ化して、今日の団地みたいな立ち位置になると思っているから買わないし、多分左手の薬指に指輪をはめる日も来ません。

 

基本的にシンプルが苦手です。Tシャツにジーンズという、シンプルイズベスト、これが似合う人が結局一番美人、みたいなのは唾棄しております。ユニクロで服が買えません。ジャカードが好き、ゴブランが好き、リバティが好き、刺繍が好き、レースが好き、フリルが好き。大正ロマン風の、大柄が入った毒々しい色味の浴衣を何着も持っています。社会人になったら何を着ればいいのでしょう。

 

中継で見た戴冠式の黄金の馬車の悪趣味さに、豪華の果てにある悪趣味さに、うっとりしてしまいます。やはり王室ならこれくらい、もう民衆があっけにとられるくらい派手でなくては。庶民の王室批判なんてどこ吹く風、というスタンスで万事ド派手にやってほしい。成金の悪趣味さとは対極にある、エレガンスとゴージャスを極めた挙句の悪趣味、それこそが王室の存在意義でしょう。マリー・アントワネットが好きです。ユニクロに欲しい服はありません、が基本姿勢ですが、この前母親の買い物についていったら、ソフィア・コッポラのアントワネットのプリントが入ったTシャツがあって、つい買ってしまいました。さて、暑くなってきたのでTシャツの出番もそろそろかな、と街を歩いていたらわたしが持っているのと同じものを着ている人と何人もすれ違います。街で偶然、同じ服を着た人を見つけてしまった時の気恥ずかしさは格別です。ユニクロは着るのが難しいです。

 

わたしは高校時代、世界史の先生が大好きで大好きで仕方がありませんでした。好きと言っても、どう考えても女子高で頭が少々おかしくなっているだけなんですけれども。先生への愛は成績で表現するしかありません。成績が上がって、たくさん合格実績を作れば先生のボーナスが上がるかも、とわたしは来る日も来る日もせっせと受験勉強に励みました。この前、受験生の弟を持つ友達に、この時期何やってたか聞かれましたが、当たり障りのないことしか言えませんでした。まさか「不純なモチベーションが一番よ♡」なんて言えるはずありませんもの。

 

これは懺悔になりますが、当時の彼氏に、世界史の先生が好き、とかなんとか言った覚えがあります。マジごめん。本当に刺されそうだけど、でも絶対このブログは知らないだろうしわたしのことなんて忘れてるだろうから書くけど、あんまり彼のことは好きじゃなかったのかもしれないです。面白い、唯一無二、かけがえのない、誰よりも話のわかる、本当に、わたしの人生で二度と巡り合うことのなさそうな、波長の合う最高の友人ではありましたが、恋人としては死ぬほど退屈で、指先に触れられることさえ嫌でした。今、超エリートコースを着々と歩んでいるらしい彼の話が話題になるたびに、逃がした魚は大きい、と友人たちにからかわれますが、そういう問題ではない。ほんとうにそういう問題ではない。弱冠15歳、loveとlikeの違いが判るのには少々幼すぎた模様です。でも、人は失敗してじたばたすればするだけ、強く優しく賢い大人になれるはずです。(開き直ってるだけ??)

 

話がそれましたが、母はこの、世界史の先生タイプの男性がいまだに好みだと思っているようです。まじめで、ひょろっとした、ほほえみの優しい、外見に無頓着なメガネ。なので、テレビにそれっぽい人が写ると、そんな感じの人とすれ違うと、ほら、あなたの好きそうな人がいるよ!と言ってきます。お母さんごめんなさい、わたしは東京に汚染されてしまったので、まじめが一番タイプが好みではなくなってしまいました。もうこういう人は好きじゃないの、と言ったら悲しい顔をされました。妹は貢ぎ体質、彼氏に夢中♡みたいな人間になる才能がまだ中学生なのに見え隠れしているので、せめてわたしには、名より実を取る、堅実な相手を見つけてほしかったのだと思います。

 

趣味でとっている般教に、ちょっとかっこいいな~と思っていた人がいます。襟足が長い黒髪、軟骨に空いたピアス、メタルフレームの丸眼鏡、愚かなミーハーなので見た目から入るタイプです。完璧に東京に汚染されています。授業を聞かないで何をしているのだろう、と思ったら机の下でこっそり麻雀で遊んでいます。完全にツボです。彼を斜め後ろの席から見つけたわたしは、モーパッサンの講義そっちのけで萌え散らかしていました。自分も麻雀を覚えよう、とひそかに決意します。後ろ姿は完璧です。これから般教に行くのが楽しくなるだろうな~と思っていたのですが、後ろ姿という所に落とし穴があります。問題は前面です。整ってはいますが、なんだか眠そうな顔をしています。もっと、しゃきっとした、緊迫感のある顔だと思っていたので、眠たげな目は解釈違いです。一重瞼のぎゅっときつい目許が涼し気で、知的で、美しいひとでなければいけません。もう履中したい。般教なのにグループ学習とかあるし。(この女、人を勝手に好きになって、勝手に幻滅している。失礼にもほどがある)

 

目は大事です。顔の何よりも大事だと思っています。自分の目は、そこそこ大きくてふた皮目で、この現代社会の規範の中ではそうコンプレックスにはならない目です。でも、つまらない、美しくない目だと思います。自分の目をそのように評価しているので、美しい目をしている人に憧れます。限りなく狂気に近いほど、美しい目をしている人を、ひとり知っています。

 

というか最近、自分はどういう人が好きなのかを考えていました。中身はぶっ飛びカオスだけど根っこは常識人(ここ、とても、とても、とても大事)。外見は長めの黒髪、一重まぶた、鼻が高い人。ここまで考えて、ひろゆき氏の顔がちらつきます。なんだか複雑な気分になり、考えるのをやめました。もう東京に汚染されてるとかされてないとかの次元じゃない気がしてまいりました。わたくしとてアンドロギュノスの末裔、どこかにいるはずの半身を探して果敢に生きてゆきます。東へ西へ!!