夜間飛行

新宿愛好家

堕落論

お久しぶりです。課題が山積みだけどやる気が起きませんね。

 

個人的にはタンデムと同じくらいシガレット・キスは強烈な魅力を持っていると思う。

「個人的」なんて言ったけど所詮ブログなんぞ「個人的」の業深い集積である。インスタとかFacebookだって「個人的」の吹き溜まりなのに結婚報告とかの時にわざわざ「私事ですが…」とか言ってるそこのお前、普段の投稿も私事じゃないかしら?

 

mitukonuit.hatenablog.com

 兎も角私はシガレットキスが気になって仕方がない。「シガレット・キスとはなんぞや?」というそこの読者の方にご説明させて頂くと、タバコの先をくっつけあって火をつけるやつです。それだけ。それだけ。

 

それだけなんだけどさ、なんだかロマンチックでいいと思わない?酸っぱい葡萄式にロマン性の人が好きじゃないと宣言しているけどこればかりはロマンがあっていいと思う。なんでなんだろうね。共犯者めいたときめきがあるのかしら。嘘をつくのが致命的に苦手な私は共犯者と嘘を楽しむような方向にしないと上手に嘘がつけない。「二人だけの秘密」みたいな甘美な共犯感覚、最高だと思わないかしら。思わないわよね。御免なさいね。

 

私は煙草のみじゃない(そうなる予定もない。美しい堕落を標榜しながらも案外健康志向なのだ。)ので実現はなかなか難しそうだ。同学科の男子(喫煙者)的には「タバコ吸ってる女はやばいやつしかいねぇ」らしい。この人は自分がタバコを吸うのは認めてほしいけど彼女には吸ってほしくないらしい。普段の私だったらジェンダー的にいかがなものかと思う話なのですかさず反論を展開するところであるが、世間の認識の代表格っぽいご意見なので反論をこの場ではしないことにする。

 

でも美しい堕落は私の理想なのだ。薔薇は美しく散る。散り際まで美しく、落ちる最後の一瞬まで美しくありたい。親兄弟にも友達にも恋人にも知られたくない、共犯者以外に見られたくない堕落が一等美しいと思うのだ。むろん友達・恋人が共犯者になりうる可能性は高いが。

 

ここで気を付けたいと思うのが「堕落=エモ」の図式がやすやすとできてしまうことだ。大学生というのはお酒とかタバコとか麻雀とか音楽とか恋愛とか堕落風味の夜更かしを簡単に「エモい」の一言で消費する生き物なのだ。大学生はエモが好きなのだ。私は十把一絡げにエモで片づける軽薄な当世風の大学生を憎んでいる。世界にはもっと複雑な感情があって、美しい言葉で表現できることとかできないことがあって、それは決してエモで形容できないと信じている。私はエモで形容される諸々に美しい名前を付けたい。

 

結論として私は耽美主義者であり堕落論者であり三文美文作家なのだ。

乙女の葬列

女の子って何でできてる?

女の子って何でできてる?

 

お砂糖

スパイス

素敵ななにか

 

違うの、それだけじゃない。

 

ママの呪い

海に流したペンダント

星座占い

押し花の栞

男の子の涙で固めた金平糖

 

全部混ぜたら、運命ぶって、きらきらの夢という名前の、つまらないピンク色の妄想、平凡なかわいい女の子の出来上がり。でも女の子の魔法はいつか解ける。みんなそうでしょう?いついつまでも、王子様を待っていられたら幸せなのにね。私の魔法はそろそろ解けそうだから、もう死んでやろうと思う。金平糖を込めたピストルを、こめかみにあてて。

 

取り返しのつかないこと

かなりの頻度でさりげなく取り返しのつかない事をしたくなる衝動に駆られる。

 

いわく、自宅の白い壁紙にオムライスを投げつけたくなった時…

いわく、香水の瓶を手にした時に腕を振りかぶりたくなった時…

いわく、かき混ぜた納豆のパックを妹の頭に落っことしたいと思った時…

いわく、ホームと電車の隙間にスマホか家の鍵を落としたらどうなるかなァと感じた時…

いわく、講義中の大教室で尊師マーチを歌ったらどうなるかが気になった時…

エトセトラ、エトセトラ…

 

取り返しのつかないことをやらかした後のあの何とも言えない白けた雰囲気、早急に対策を講じないといけないのに静まり返るあの瞬間のためだけに取り返しのつかないことをやりたくなる。私だけだろうか、この衝動をぎりぎりの社会性と理性で押さえつけているのは・・・

東京の休日

私はバイクで二人乗りすることに尋常じゃない憧れを抱いている。

 

ローマの休日」で主役カップルたちが二人乗りしているシーンがある。おしゃれなイタリアンスクーターのベスパである。「アメリ」のラストシーンもパリを二人乗りで走っている場面だったと記憶している。この映画たちのせいでこの憧れが生み出されているのは間違いない。どちらも最初に見たのは中学生の時だったが、当時はなんだかロマンティックで素敵ね、くらいの認識だった。どのみちヨーロッパの素敵な映画の中の話である。現実はそううまくいくものではないと考えていた。

 

しかし最近は頑張れば免許もとれるしバイクも買えるということに気が付いてしまい、二人乗りを試してみたくて仕方がないのだ。そして現実の二人乗り原付カップル、超絶おしゃれ。中野でクロスカブ、新宿でミントのベスパのタンデムしてるカップルを見かけたが、どちらも絵になっていた。さすが中央線文化圏、と妙なところで感心した。どちらかというと「カップル」よりも「アベック」のほうがふさわしいサブカル風味のおしゃれなふたりに私の目は釘付けだ。私の地元で二人乗りしているのはでっかいビッグスクーターに乗ってるヤンキーか子供を後ろに乗せているお父さんくらいだ。

 

二人乗り原付といえば先ほどの「ローマの休日」式にベスパがイケてるのだろうが、個人的にはスーパーカブでタンデムしたいのだ。ローマにベスパが似合うように、東京にはきっとスーパーカブが似合う。スーパーカブは郵便屋さんの乗り物というイメージが世間的には強いらしいが、私はスーパーカブが好きなのだ。あの昭和感。最高じゃないか。違うかな。まさにアベックの休日。

 

こんな調子だから原付二種(自動車の普通免許で乗れる原付一種では二人乗りできないし、そもそも車の免許持ってない)の免許を取りたいなァと思っているのだが、どうやら他人よりも圧倒的にとろく運動神経が悪い私の運転に命を預けてくれる人なんていないらしい。親・友達等各方面から「お前が運転する車なんて絶対に乗りたくない」とのお言葉をいただいているのでバイクなどなおさら無理があるようだ。嗚呼。

 

いや、乗せてくれる人がいるなら喜んで乗せていただく。一度くらい自分で運転してみたいのだが、それがかなわないのなら後ろに乗りたい。アメリもアン王女も後ろに乗っている。私はあくまでも前がいいが、そもそも二人乗りバイクの運転手を務めるには後ろに乗ってくれる人がいないとだめなのだ。同乗者のめどは今のところ立っていない。これが一番悲惨な気がしなくもない。

 

いずれにせよ風を切って走るのはきっと楽しいだろう。元来爆走願望があるので、免許を取る日が来たら深夜の首都高、都心環状線を真っ赤なイタリア車でぶっ飛ばしたい。時代が時代ならもしかしたらバラと蝶と牡丹の刺繍が入った黒い特攻服で飛ばしていたかも。後ろでいいんなら「製鉄天使」のスミレちゃんみたいにレディース総長のバイクに乗っていたかも。

 

実は後ろに乗れそうな機会があった。高校二年生のバレンタインデーに地元の同級生に偶然再会して、高校を辞めてすでに社会に出ていた彼が自分のバイクの話を振ってきたのだ。バレンタインだったのをはっきり覚えている。何気なくバイクかっこいいね、みたいなことを話していたら今度乗せてあげるって言われたのを記憶している。自分の周りにバイク乗りはいないので、あの時乗せてもらえばよかったなぁと何となく後悔している。しかしながらピュアで真面目なセブンティーン、断ったのはしょうがない。自分の周りにいた男の子といえば秀才型の心が弱そうな人ばかりだったので、同い年とは思えない自立感、年上感に若干圧倒されていたのだ。今だったら二つ返事で乗せてもらいました。ええ。

 

ともかくも私の夢はサブカル中央線カップルでスーパーカブの二人乗りをすることです。ご承知おきください。

 

青鬼に媚びる

「青鬼の褌を洗う女」という小説がある。主人公のサチコちゃんはにっこり媚びるのが得意な人だ。うろ覚えだがもし自分のもとに来た鬼が男だったら私は精一杯媚びて媚びながら死にたい、とか言っていた気がする。ここまで徹底している媚びはもはや脱帽ものである。

 

私は媚びを売る女性が大嫌いなのだが、最近自分が特定の人々に媚びた話し方をしていることに気が付いて自己嫌悪に陥っている。己の中にデフォルトで入っている悪い意味での女っぽさが無意識に出てきていることに心底恐怖を覚える。自分の認識として所謂「女らしさ」は意識して出したりひっこめたりできるものだと考えている。短いスカートだとか華やかな化粧みたいな、記号的なものを身につけなければ「女らしさ」は出ないものだと思っているので知らず知らずのうちに媚びた話し方という形で己の女の側面が露呈してしまっているのが嫌で仕方がない。気色が悪い。無意識のうちに自分の女性性を押し出そうとしているのがあさましい感じがする。

 

「~でしょう?」「~ね」「~かしら」「~よ」みたいな調子で話したり書いたりしている自覚はある。これは自分で分かっていてやっていることなので問題ない。これだけで媚びていることにはならない。問題は声のトーンである。普段のテンションよりも高く、甘く、若干語尾を上げて伸ばす話し方。文字に起こすと「明日は晴れるかしらぁ⤴」「あなたもそう思うでしょぉ~⤴?」みたいな感じ。きも過ぎて泣きたい。「~かしら」みたいな女言葉は私にとってミニスカートやハイヒールのようなもの、一種の演出であって、無意識に生の女らしさを表現するものではない。しかし無意識の甘くて高い声は自分でも自覚していなかった生々しい女の部分がむき出しになってしまっているので嫌なのだ。もっというと無意識にそんな声を、自身の女っぽさを利用しようとしている自分がたまらなく気持ち悪いのだ。

 

私はこの期に及んで自分が何をしようとしているのかが分からない。なんでこの記事を書いているのかも分からない。とりあえず媚びた話し方をしているのは絶対に嫌なのだ。男性に、年上に媚びてるのが何としても受け入れがたい。自分の中に媚びて、それによって女として見られたい?愛されたい?ような心があるのではないか?ということが許しがたい。そんなことしたって何にもならないのに。

 

この思考が若干ミソジニー味を帯びているものなんとも耐え難い。私はどうすればいいのだろう。助けてくれ。

 

 

野沢菜を電車に置き忘れた

先ほど草津旅行から帰ってまいりました。

 

久しぶりの遠出だったのでとても楽しかったです。くらーい性格の私でも泊りがけの旅行に行ける友達を大学で見つけることができました。有難い、得難いことです。


タイトルに書いたように私は野沢菜漬けを電車かどこかに忘れてしまいました。あ〜終わっちゃったな〜虚無ゥ〜みたいなテンションだったんですけど「野沢菜が無い」という事実に直面してそのような感傷はぶっ飛んだ。


たかが野沢菜、と鼻白んでも構わないのだが、私は野沢菜を食べることをそれはそれは楽しみていた。買ってから時折袋から出して「野沢菜♡」みたいな喜び方をしていたはずだ。それを電車かバスに忘れてきてしまった驚愕と自責の念は尋常じゃない。予定では朝ごはんに食べるつもりだったのに私の野沢菜はJRかどこかの忘れ物保管所か放置された漬物を持って帰るツワモノの食卓の上である。


悲しみに暮れてさよならして15分の友達に電話をかけた。駅前の交差点で「私の野沢菜!私のがー!!」なんて切実かつ馬鹿馬鹿しい叫び声を上げる大荷物の女にすれ違う人々は冷たい目線を送ってくる。私にとってお土産の野沢菜漬けは大切な食品だが半狂乱で野沢菜野沢菜!と叫ぶのは傍目から見ていておかしいだろう。


そんなわけで私は明日電話して「野沢菜の落とし物ありませんか」なんて言わなきゃいけないのだ。どうしても食べたいので執念で回収する。



ストッキングⅡ

 だいぶ前にこんな記事を書いたのだけれど

mitukonuit.hatenablog.com

 

通勤の塾バイトを辞めてからストッキングをはく機会が無かったのでストッキングへのくそでか感情をすっかり忘れていたのだが、入学式にストッキングへの憤懣やる方なき思いが目覚めてしまった。

 

スーツを着るために久しぶりにストッキングが必要になり、タンスの引き出しをあさっていたら新品以外はみーんな太もものところが伝線している。伝線どころかかなりひどく破れているものばかりだ。マニキュアでこれ以上伝線しないように頑張っていた涙ぐましい努力の痕跡が見える。塾バイトしていた時かなりの頻度でストッキングを買っていたはずなのに無事に生き残っている個体が無くて驚いてしまった。ストッキングを伝線させにくくする技術はあるがそれをやるとストッキングの売り上げが落ちるからあえて脆い製品を製造しているのではないかとストッキングメーカーの陰謀を疑ったこともある。私が駅前の怪しげなお店で特価で買い込んだストッキングは「SABRINA」ではなく粗悪な偽物の「SABURINA」なんじゃないかと疑ったこともある。

 

私はTwitterでストッキング手当をくれだのなんだのとストッキングへのくそでか感情を表明しているが、それに共感してくれる人が一定数存在する。やはり脆いストッキングが嫌いな人は私だけではないようだし私がバカなせいではないようだ。社会人になったらストッキングに苦しめられる日々が始まるのかと思うと憂鬱である。ズボン(パンツ?)が嫌いで私服で持っているズボンは母のお下がり一着きりの人間だが、ストッキングのほうが嫌いなのでズボン(スラックス?)出勤をするかもしれない。ちなみに塾のバイトはオンライン授業していいことになったのでこれ幸いと自宅から授業をした。ストッキングが嫌いでスーツを着たくないので自宅授業しますと宣言したら男性社員に笑われてしまった。誰が笑おうと私はこのような不便な物は極力使いたくない。

 

母にストッキングの不条理?を嘆いてもそんなもんです以上の回答を得られない。こんなもんらしい。なんだか生理用品を買う負担と同じものをストッキングには感じてしまう。決して払えない額ではないし社会生活を営む女性として必要だから買う。消耗品だから使ったそばからだめになり、買いつづけなくてはいけない。一つ一つは安くても塵も積もればで積み重ねると結構な額になる。おおっぴらに話すものではないし、高額なものではないから関係ない人には伝わりづらい。そんなもんだと割り切っていくしかない。化粧品や服と違って絶対に買わないといけない必需品なのでタチが悪い。しかもそれらを買うときのようなときめきが無い。アイシャドウや口紅は一度買えばしばらくは使えるし色やブランドを選ぶ楽しみがある。しかしストッキングや生理用品にその楽しみはない。せいぜいヌードベージュかナチュラルベージュを選ぶくらい、せいぜい花模様の包装の良い香りがついたものを選ぶくらいだ。特段楽しいことなんてない。破れたり汚れたりでゴミ箱に怨嗟を持って投げ込んだモノたちにえもいわれぬ業の深さを感じるばかり。

 

大袈裟だと思うでしょう?これを読んでたかがストッキングと思う方々はストッキング履いてパンプス履いて三日間生活してもらいたい。たぶん一本はストッキングを破くだろうしパンプスで脚は疲れ靴擦れを起こすだろう。もしかしたら走ってヒールを折ってしまうかもしれない。真剣にストッキング手当を出して欲しい。まじで。