夜間飛行

丸をください

シャーリーとビビディと私

原宿の竹下通りを脇にそれると、フォンテーヌ通りという道があります。年中外国人観光客と中学生でごった返している竹下通りと打って変わって(原宿は大きい通り以外驚くほど静かなのですが)、落ち着いた文化の香りのする通りです。竹下通りをロリィタで歩くと無邪気な外国人に盗撮されるので(マジです)ラフォーレ原宿に向かうとき、わたしはブラームスの小径とフォンテーヌ通りを抜けて明治通りに出ます。

 

この通りにシャーリーテンプルという、とても、とてもかわいい、しかしお値段は全くかわいくない子供服屋さんがあるのです。ここの前を通るたびに、ショーウィンドウの奥にとっかえひっかえ試着しているかわいらしい女の子を見出すたびに、見るからに娘に甘そうなお父さんが紙袋いっぱいにお洋服を買っているのを見るたびに、シャーリーテンプルを着せてもらえなかった小学生時代を思い出しては胸がぎゅっとなります。

 

シャーリーテンプルを着たい!というおねだりが聞き届けられ、百貨店まで行ったのはよかったのですが、お値段のかわいくなさが母の想像を超えたようで、結局うやむやにされたまま、シャーリーテンプルは買ってもらえませんでした。シャーリーテンプルどころか、メゾピアノポンポネットもあんなに着たかったのに、GAPとユニクロで育ちました。今は亡きマザウェイズは安かったので買ってもらえました。別に好きじゃなかったのでなんの問題もなかったのですが、ピンクラテもラブトキシックもレピピアルマリオも袖を通したことはないです。今21歳なのですが、あの頃のイケてる女子小学生はみんなピンクラテを着ていましたね。平成を感じます。

 

もうひとつ。ディズニーランドホテル内にはビビディバビディブティックというお店があります。要するに普通の女の子を魔法で小さなプリンセスにしてくれる場所なのですが、パークにいる同じ年くらいの女の子が髪をきれいにセットしてドレスを着て、お化粧して、魔法をかけてもらった証のサッシュを肩にかけているのがうらやましくてうらやましくて仕方がなかったのです。彼女たちのまとうドレスは、その辺のおもちゃ屋さんに売っている「なりきりセット」みたいなドレスとは明らかに違っていました。デザインの正確さや質の高さ、圧倒的なかわいさを子どもながらに感じたのです。

 

これもやってみたいというお願いが承知され、ともかくもお店に行ってみることになりました。しかしですね、魔法には高い代償がつきものでございます。またもうやむやになってしまいました。わたしがあまりにもふてくされてしまったので、靴だけここで買ってもらって、次のハロウィンで手持ちの水色のワンピースに、母が作ってくれた白いエプロンと併せてアリスになりました。靴だけ手に入っても、どうしようもないのです。魔法をかけてもらってシンデレラになって、気取ってカーテシーをするところまでやりたかったのです。

 

別に両親を悪くいうつもりはないのです。いろいろあったなかでわたしを一生懸命育ててくれましたし、すぐにサイズアウトする子ども服にそんなにお金をかけていられないという事情もわかります。でもですね、いくら子ども相手でも安請け合いはするべきではありません。わたしだってわがまま娘ではありましたがそこまで聞き分けのない娘だった覚えはないので、ちょっと予算オーバーなんだよね、とか、その辺ちゃんと言ってくれたら多少ふてくされながらも了承するのです。じゃあ買いましょうかやってみましょうかとなってから、やっぱりダメ!ってなるのがよくないのです。うちの親はそういう安請け合いからの上げて落とすをやる節があります。省略しますが、これはお洋服に限った話ではないのです。

 

正直申し上げますと、幼少期のわたしはまったく可愛くなくて(薄毛・シジミ目・色黒・頬に大きな手術痕)、ひどいブスではないのですがなんとなくみすぼらしい、華のない子で、それはそれは愛くるしいお顔の妹と写る写真を見返しては、なんてみすぼらしい子どもなんだとがっくりしているので、その容姿で服だけかわいくてもみっともない、という親の判断なのかもしれません。それはそれで、正しい判断だと思います。実際、10歳くらいにスタジオアリスで撮った写真がいまだに我が家に飾られているのですが、パーソナルカラーという概念を導入した今なら一目でアカンとわかるド派手なローズピンクのドレスが全然似合ってなくて本体のみすぼらしさが際立っています。この写真捨てたい。覚えていますとも、やめたほうがいいという母の助言を振り切ってこのドレスを選んだのは、まぎれもないわたし自身です。

 

赤ちゃん~幼稚園時代のアルバムには、短い髪で、ズボン履いて男の子みたいな恰好をした姿ばかりのこっています。ブスにかわいい服を着せても…という親心なのか、単純に貰い物(とはいっても女の子に男の子用の服あげるのって広く一般に行われているのでしょうか)を着せてるだけなのか、シンプル・カジュアルこそ至高という親の趣味なのか、ZOZOTOWNとかなかった時代の田舎で服屋の選択肢がなかったからなのか知りませんが、とにかく少女趣味の服を親は選びませんでした。

 

最近ロリィタ服にバイト代をつぎ込みお財布は火の車、はたから見れば同じようなデザインのブラウスを買ってほくほくしています。(同じように見えますが、ボタンの形、綿レースの模様、袖口のレースのボリューム感、袖の形、シルエット、フロントの装飾、裾のフリルの有無、全部違うんですよ)なぜここに来て、客観的に見て不毛な買い物をしているのか考えていたのですが、子ども時代に満たされなかった「かわいい服を着たい」という心を、必死になって埋めているのでは、という答えにたどり着きました。三つ子の魂百まで、雀百まで踊り忘れず、我ながらこの執着心にびっくりしています。もちろん、かねてからのあこがれのお洋服を着て素直に楽しんでいる、という気持ちもたくさん持ち合わせているのですが、ロリィタを、BABYを着ることで、シャーリーを着れなかったあの日のわたしを救おうとしている気がするのです。

 

胸元に大ぶりの薔薇のケミカルレースと編み上げのリボンがついた、デザートワンピースという最高にかわいい名前がついたワンピースに、薔薇レースのブラウス(袖がパフスリーブになっていて、お花の形のボタンがついている)、同じレースが使われたヘッドドレスを合わせて、靴はヨースケの7㎝ヒールのメリージェーン、バッグはヴィヴィアンかMilkを持ちます。かわいいを手中に収めて、わたしは幸せなのです。