夜間飛行

丸をください

結婚

結婚。最近結婚のことを考えています。長いので要約すると、「ロマンチックラブイデオロギーから抜けたい」という話です。

 

うちでは平日のお夕飯を作るのがわたしの分担になっています。先日はステーキを焼きました。我ながらかなりうまく焼けたので調子に乗ってコツをお教えいたしますと、お肉を焼く1時間前くらいから冷蔵庫から出して室温に戻し、両面に切れ込みを入れ、焼く直前にマジックソルトをすり込みます。焼くときは強火でさっと焼いてしまいます。そのあと、アルミホイルに包んで休ませると、いい感じに、中がすこし赤くて柔らかいステーキになります。

 

ウェルダンなんて、食えるか!みたいな家なので、うまい具合に焼けると家族に褒められます。母親にも私が焼くよりうまいじゃない、これならいつでも彼氏に手料理をふるまえるよ!と褒められちゃいました。困りました。わたしには恋人はいません。最近、こんな感じの母親の圧力が頻繁にかかってきます。困ります。わたしまだ21(もう21⁈)です。はやくいい彼氏ができるといいね!とか、あなたはどんな人と結婚するんだろうね、とか、この家からいなくなっちゃったら寂しいね、とか、新しいコミュニティに入って彼氏を見つけなさい、とか。果てはあなたの子どもの面倒は見るから仕事は辞めちゃ駄目よ、とか。

 

わたしのことを気にかけてくれているのはよーくわかるのですが、正直放っておいてほしいのです。恋人なんて、できるときは何の苦労もなくぽんとできるし、できないときは何をどうやってもできない。それに、まだ21の小娘に子育ての話をされても、どうしようもない。

 

それに、考えすぎでしょうが、旦那とか彼氏に食べてもらうために作る♡みたいなノリは「僕食べる人、私作る人」感があって、あまり好きではありません。自発的な愛情の発露ならともかくも、他人にとやかく言われたくありません。どうせなら君の手料理がたべたい、じゃなくて俺の作った飯食いに俺の嫁に来てくれないか、と口説かれたいのです(?)そんなナヨッチィ人、要らぬわ!他人に自分の糧を悪びれもせずに、作らせるな!

 

そう、放っておいてほしいのです。わたしは、ロマンチックラブイデオロギーから抜けたいのです。あなたもいつかは運命の、素敵な人と巡り合って幸せな結婚をして、子どもを持つのよ、これからの女はキャリアも当然両立させないとね、という正解の筋書きに、多分ついていけない気がするのです。運命がなんだ、安定がなんだ、遺伝子の継承がなんだ、そんなに偉いのか。「実らなかった恋」って、そんなに残念なものなんでしょうか。せっかく実っても、いずれは腐ってしまうのですから、いっそ実らない、徒花のような恋のほうが、美しくはないでしょうか。

 

経験上、わたしはすべての成功を手に入れられるほど器用ではありません。今までも何かを得るためには何かを失わないとだめでした。仕事の成功か、ロマンチックラブイデオロギーへの祝福された収斂か、それか、もっと別の、こんなのアリかよーっていうような、誰にも理解して貰えないけど、それでも自分は幸せで、絶対に手放したくないほど尊い何らかの存在を抱きしめ続けるのか。多分わたしはそのうちのどれかを手に入れることができるでしょうが、おそらくは勝ち取ることが叶わなかったものへの後悔はうっすら抱えて生きていくことになるはずです。

 

とにかくわたしといたしましては、ロマンチックラブイデオロギーに巻き込まれても巻き込まれなくてもよいように、立派に稼ぐ女になることを目指しております。社会的、経済的な立場の安定のために結婚するなんで、ごめんなのです。もしわたしが32歳とかになって、周りがどんどん結婚して子どもなんか生まれていて、自分はもちろん独身で、焦ってお見合いアプリで見つけた、そこそこのスペックの人とそれなりに結婚していたら、情けない。多分相手もまぁこいつで妥協しとくかーみたいな感じでしょうし、蛇蝎のごとく嫌っていたアプリに手を出しているし。

 

そうなんです。わたしはマッチングアプリが大嫌いでございまして、あんな性欲の集積場にわが身を置くくらいならば、安アパートでBABYのお洋服を着て死んでいるのを管理人ロボットに発見されるほうが全然いいのです。マッチングアプリという美名を与えられた「出会い系」を使うくらいならば床のシミになるほうがマシというもの。友達が使っていてもなんとも思いませんが、自分は絶対にやりません。以前、焼肉屋さんでマッチングアプリの悪口で盛り上がっていたら、隣の夫婦がすんげー気まずそうな顔してたよ、と後から同行者に言われて心底肝が冷えたので、マッチングアプリの悪口はこれくらいにしておきましょう。結構みんなやってますからね。

 

大体、安定とはつまらないものです。安定、正解、外聞、スペック、ロマンチックラブイデオロギーは、純愛なるものを全面に押し出していますが、結局はそういう世間体みたいなのを守る装置ではないでしょうか。それはもちろん、わたしも婚礼に夢を見ますが、現実を生きる人間は、シンデレラみたいに王子様と結ばれて目出度し、目出度し、というわけにはいきません。常に解雇、不倫、病気、などのリスクと隣り合わせの生活です。経済的な安定、とか社会の中で立場を固める、みたいな思惑混じりの関係は、こういうリスクにぶつかったとき、辛くはないでしょうか。

 

人間は一人で生きて一人で死んでいきます。わたしは他人の人生に責任を持ちたくないし、誰かの人生に巻き込まれたくないのです。結婚とは人生の最小行動単位が2になる契約のこと。自分は自分で己の生を一人で全うします。自分の尻拭いは自分でしたうえで他人と関わりたいのです。「人」は支えあう二人の姿だよ、っていうのは嘘。力強く大地を踏みしめて立つ、人間の両足を象った文字です。

 

一緒に死んでくれる人でなければ嫌(あれ、さっき人間は一人で死ぬって言ってなかったかい、矛盾しているね、どうしようね)。なんだかんだわたしはちゃんと生きようとする人間なので実際にするかどうかは全く別の話になりますが、一緒にこの世に絶望して心中してくれるような気概のある人がいい。しわしわになるまで添い遂げなくても結構。それくらいの緊張感のある丁々発止のやり取りが、ロマンチックラブイデオロギーよりも、マッチングアプリよりも、恋愛をより文化的な大恋愛に昇華させてくれるのではないでしょうか。違いますでしょうか。ほんとうに、親不孝な娘でございます。