夜間飛行

丸をください

近況報告2022.12.26

部屋の掃除をした。高校時代の何となく捨てられないコスメを思い切って処分した。

 

高校時代はオルチャンメイク全盛期で、水っぽい質感のド派手なティント(今のと違って彩度が半端ない。くすみカラーなんて概念は存在しない時代である)が流行っていた。唇の輪郭をコンシーラーで消してグラデーションを作るやつ。部屋の片づけをしてたら懐かしのティントがたくさん出てきた。なけなしのお小遣いでちまちま買ってたエチュードのディアダーリンウォータージェルティントと、オピュの水光ティント。久々にエチュードのサイトみたら、あの頃の600円ちょいで買えたティントは全滅してて、どれも1500円くらいするものばかりになっていた。もうおれたちのエチュードハウスは存在しない。かろうじてラブリークッキーブラッシャーは残っていた。水光ティントはいつの間にか同ブランドのジューシーパンティントに取って代わられてて、もうどこにも売ってない。

 

あの頃のわたしをときめかせたカイリジュメイもアイスティントもIAMFOXの電球ティントもないし、あの頃のお小遣い事情では手が出なかった3ceのウユクリームの話も誰もしていない。ペリペラのインクティントはかろうじて残っているが、あの頃の面影なんてこれっぽっちもない、くすみカラーになっている。実はザセムのキャンディティントも出土したのだが、もったいながってほとんど使っていなかった。もう誰もウォーターティントなんて使ってないので、この先日の目を見ることはないのだが、あまりにもかわいくて捨てられなかった。

 

わたしはせっかく買ったものをもったいながって使えないという悪癖がある。小さい頃はペン、メモ帳、シール、ハンカチ、折り紙、リボン、のちにリップ、アイシャドウ、下着、着物、香水、ピアス。きれいなもの、かわいいものを所有することが無上の喜びであり、そのかわいさを消費によって壊したくないという気持ちが働いてしまう。おかげで本来の用途を果たせずにコレクションになってしまう。

 

そしてせっかくの宝物に、宝物という価値を感じない年になってしまう。しまい込んでいるうちに劣化させてしまう。もう平成中期センス爆発のメモ帳は使わないし(今はY2Kとかいってあの頃のセンスが再評価されているらしい。喜ばしいこと)、リキッドアイシャドウのグリッターは干からび、正絹の名古屋帯にはカビが生える。ティントは時代遅れになり、匂いも質感も変わってしまった。大事に使ってたヘアミストも、安っぽい匂いに感じてしまう。来年からは宝物が宝物であるうちに使い、その良さを感じていこうと決意している。

 

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元恋人からもらったものも出てくる。

 

わたしには悲しいほど似合わない服、香水、ネックレス。この悲しいほど似合わない服は、まず寸法が合わない。大体つなぎという服は寸法のごまかしがきかないわけできちんと試着をしてから買うものである。実はわたしは標準より腕が若干長い(高校の指定ブラウスも購買じゃなくてデパートの制服売り場にしかない特殊サイズ)ので、もちろん合わない。さらに似合わない。そもそも普段の服と趣向が違いすぎてどう着ればいいのかわからない。そもそもモード系のつなぎなんてメリージェニー系統のワンピを常用している人間に贈っていい服じゃない。おまけに童顔で化粧が濃いせいで、せっかくのモードのお洋服がわたしが着ると昭和の不良だ。愛羅武勇。

 

彼はわたしにこういう服を着てる女になってほしかったんだろうな。ご期待に沿えず申し訳ございませんでした。人間そう都合よくは行きません。次は初めからモード系美人を捕まえるべきだと思います。

 

このつなぎは苦い思い出しかないのだが、物に罪はないのでありがたく使わせていただこうと思う。捨てるのも違うし、メルカリでどう使うのかわからない、顔も見えない人に売り飛ばすのも嫌だ。大体、世の中の元恋人からもらったものを捨てる人間というのは未練たらたらで、未練をどうにか断ち切ろうとそれにまつわる物だとか写真だとかを手放すという理屈で動いているのだ。すでに悟りをこれ以上開けないであろうほどに開いているわたしには物は物でしかない。時代はSDGsだ。ロスは避けよう。ついでにおそろっちの靴もあるのだが、これは付き合いだす前からわたしの靴だったので無関係であると解釈している。

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皆さんクリスマスはいかがお過ごしだったでしょうか。わたしは在宅で家族と夕食を食べました。友達はみんな塾のバイトで冬期講習が忙しそうです。先月の初頭に、クリパすっぞ予定を開けとけ、と友達を誘ったら、「その時まで私たちが友達でいる保証なんてないじゃん」とつめたいお言葉を返されたのだが、誠に幸いなことに我々の友情は存続している。忘年会もできたし。やはり持つべきものは友である。

 

高校の同期にこの前会った時、彼氏と別れちゃった、今年はクリぼっちガチ鬱云々と嘆いていたので、私たちだっていつまでも実家にいられるわけじゃない、しょうもない男と一緒にいるよりは家族と、老愛犬と一緒に過ごしたほうがいいと思う、と励ましておいた。資本主義社会における商業クリスマスは、なぜここまで人の心をかき乱すのだろう。所詮年の瀬近いただの日であって、今年は土日だったが基本的に祝日にもならないようなただの平日のくせに。

 

うちはクリスマスケーキは毎年ヤマザキの苺サンド6号です。庶民(貧民?)の多い街なので近所にヤマザキのケーキを3割引きで売ってくれるスーパーがあります。今年のケーキはいつもより薄べったい感じがしました。物価高はヤマザキのケーキにも及んでいます。クリスマスが近づくと、ヤマザキがクリスマスケーキのCMを流すのを御存知だろうか。毎年ケーキを食べる子どもの映像に、ソプラノ歌手によるクリスマスソングがついている。わたしは毎年、このクリスマスソングが同じ歌なのか、同じ歌手によるものなのか気になり、来年と比較できるようにぜひ覚えておこうと心に決めているのだが、一年後にはかんぺきに忘れ、同じことをまた考えている。

 

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間違いなく自分なんだけど、自分が鏡や写真で認識しているのと違う顔で写っている写真がある。認識している自分よりも色白で、痩せてて、大人っぽくて(老けにあらず)、かわいい。夜に強い光源で撮ったから光の加減のせいかとも思ったけど、それにしても顔が違いすぎる写真である。わたしの実物を知らない人のために己の容貌を表現すると、美容系ユーチューバーのななこちゃんのすっぴん(ここ重要)をベースに、三徹した舛添要一氏を500ml、「素人は黙っとれ…」の城島リーダーを大さじ1、あらゆるオーラを抜いて徹底的に一般人化させたキムタクのご息女Cocomiさんをひとつまみして、蒸し器でふっくら蒸しあげ、5回殴った感じ。

 

こんな容貌であるが、この写真は加工を一切していないのにやたら写りがいいのである。なんでなんだろうか。一年くらい疑問に思っていたのだが、最近なるほど…と思った解をもらった。この写真を全然関係ない文脈で友達に見せたら、普段と顔全然違くね?女の顔だね、と言われてしまった。なるほど、これが女の顔…だったら普段のわたしの顔って何?というか自分にそのような顔ができるポテンシャルがあるというのが気持ち悪い。

 

わたしは己の色気のなさ、おじさんに好かれるがセクハラの対象には絶対ならない感じがウリであり、社会でうまくやってくための才能だと思っているので、こんな顔をできてしまったら困る。わたしは目をかっぴらいた顔芸で生きていきたい。おもしれー女枠で社会の荒波にうまく乗っていきたい人間としては、女の顔なんていらないのだ。

 

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自分をネタにして笑ってもらうのも、笑われるのも、そろそろ疲れた。笑いの奥に見え隠れする軽蔑、失笑が、自分の中の消費してはならない部分まで削っていく感じがする。でも黒歴史として昇華していくよりほかに術がないのでどうしようもない。我かなしき道化なり。