夜間飛行

丸をください

2022年の振り返りと、2023年やりたいこと

今年を振り返っています。前まで、一年を振り返ったり、新年の抱負を語ったりするのが苦手だったのだけど、今年はいろいろあったから(99%就活のせい)回顧していきたい。総合してなかなか試練の年であった気がする。(99%就活のせい)

 

2021年がわたしの約20年の短い人生のなかであまりにも佳く、美しい年であったが故(もちろん大変なこともたーくさんあったはずだが、楽しい記憶がとっても多い)、2022年が厳しい一年だったように感じるのかもしれない。まだ、5月くらいまでの、前期はまだ2021年の空気を持っていたため、比較的マシだったが、それ以降(就活はじめてから)はかなり苦しかった。そう、就活がぜんぶ悪いのだ。コロナのせいでまともな大学生活が1年も奪われているのに、就活は遠慮なく始まってしまった。

 

はざまにはうれしいことたのしいこともあった。大学生活において仲良しと呼べる友達が増えた。わずかながら交遊関係が広がった。かねがねやってみたかった18きっぷの旅もできたし、成人式にも出られた。観たかった映画も観れた。だが、就活はすべてをぶちこわした。6月7月はへろへろになりながらES書きまくって、期末課題もたっぷりで、8月にちょっと倒れてもいいから7月は乗り切らなければと覚悟したら父がコロナだ。8月9月もインターンばっかりで、海外経験豊富な就活生にマウント取られまくりだ。(ちなみにこの女、普通に英弱なのでTOEICギリ600点台で就活を乗り切るつもりである)せっかくの旅行も差し迫った採用試験のせいで全然楽しめなかったし、「○○の早期選考の案内来た?」とか、「○○の面接通った?」とか全然仲良くないやつから連絡が来た。遠慮なく非表示にした。なんでお前に言わなきゃいけないんだ。大体就活なんてクソシステム、誰が考えたんだよ。いまだに内定いっこもねぇよ。たすけて!

 

就活もうまくいかない、恋人とも別れた、などいろいろ行き詰まって神社でおみくじ引いたら「試練の兆しあり」「その人があなたに本当にふさわしいかよく考えましょう」と出た。神様はよく見てるらしい。2023年は、内定も、新しいボーイフレンドもゲットしていきたい所存。正直なところ恋人はしばらく要らないので、せめて内定を!

 

2023年の目標は、まず己の人生の目標から逆算して立てていきたい。まず、これが達成出来たら我が人生に一片の悔いなし、みたいな目標がこれ。

・どんな形でもいいからペンでご飯を食べる。それが無理でも、何らかの形で書くことは続けたい。

・優しくて、まともで、面白い(欲を言えばちょっとかっこいい)人と結婚して、吉祥寺にアールヌーボー調の一軒家を建てる。サモエドとオールドイングリッシュシープドックと暮らす。ゆとりがあればヨウムにも来てもらう。

・変なエッセイみたいな本を出版して大もうけして、自分のサイズに誂えた普段着なのに高価なナントカ紬、みたいな着物を着て生活してる、変なおばさんになる。親戚の子どもに懐かれるタイプの変なおばさん。

・年をとって旦那さんと死別とか離婚とかして、あるいはずっと独身だったら、最終的には高級老人ホームで毎日楽しく女子会してる、元気なおばあちゃんになる。

 

となると2023年の目標はやはり志望業界の内定であろう。話はここからだ。

・内定を取る。これさえ達成できれば2023年は完璧ともいえるであろう

・着付けを習う。学生で金ないんですぅが通用して、変な展示会とかで帯とか買わされないうちにきれいな自装ができるようにする。

・免許を取る。今から毎月一万円でも貯金して、免許取得の暁にはスーパーカブを買う。(年明けてすぐに口座を作りに行こう)

・他人に好かれ、愛される人間になる。まともな真人間としてカウントしてもらえるように、まずは自分で自分のことをまともに扱いたい。

・映画や絵画みたいな芸術・文化にたくさん触れる。2022年は王家衛5作、なまいきシャルロット、パルプ・フィクションとミニシアターで昔の映画を観られた。2023年は1月のミスターローレンスを皮切りに、東京の文化資本を享受していこうと思う。

 

こんなもんだろうか。ちょろっとしか書かなかったけど、「自分で自分のことをまともに扱う」は結構重要かもしれない。わたしの芸風?は「自分の黒歴史を徹底的にさらけだし、ネタにすることで笑ってもらい、エンターテインメントとして昇華する」というものだが、そろそろ限界を感じ始めている。笑いながら話していても、心の傷がよけいに深くなるばかり。おまけに他者からはよりまとも視されなくなる。しゃべったことない人にも、顔を知らない人にも変わっているやつだと言われるわたしだが、わたしの「変」など枝葉の些末な部分に過ぎない。根幹はどこまでも常識人なので、枝葉の部分の暴走に根幹がついていけなくなってきている。

 

どうやら自分で自分を粗末に扱うことで己の存在意義を見出している節がある。生傷を広げるような話をして、傷ついていることに満足する。せっかくいいものを買ったのに、自分にはもったいないと使わないで古いものをあてがうことで満足する。自分が大事にされていないという意識が存在価値になる、そういう心根はどうにかやめて、ご自愛していきたい。割と、これは大事なテーマだ。