夜間飛行

丸をください

オリオン座

今年はじめてオリオン座を見る。

 

もう2月だし、冬の星座たるオリオン座はずっと空にいたのだろう。長らく空を顧みることが無かったようだ。私の天体に関する知識は悲しいほど貧しいのでせいぜいオリオン座と北斗七星ぐらいしか見つけることができない。夏の大三角形などは小学校の夏休みの宿題で探すことはあったがもう分からない。ベガにアルタイルにデネブ?とか言われても全部それらしく見えてしまう。こんな調子だから星座を定めた人は本当に想像力豊かで空を見るのがよほど好きだったんだろうな、と思う。カストルポルックスの伝説は知ってる。それだけ。

 

とにかく私にとってオリオン座が空に出ていて、それを捉えることができる、ということが重要なのである。真ん中に綺麗に一列に並ぶ三つの星と、四隅で光る星。冬は厭な季節だ。日のあるうちは良いが夜は寒くて悲しくなってしまう。頬を刺す冷たい風が痛い。しかしその厳しい北風が冷たい空気を澄ませるからこそオリオン座は一層瞬くのである。

 

私がまだ小さかった頃、単身赴任中の父に会うために高速で二、三時間の移動を繰り返していた。大きな通りにも明かりが乏しく、一本わき道に逸れれば街灯の少ない寂しい道になる田舎の町(田舎は夜が早いのである)とかたやマンションや工場の明かりが幾つも光る大きな街。北関東の田舎町の冬の夜は子供ながらに恐ろしかった。この町が悪いのではない。子供の感じ方の問題である。夕方になるとどの自治体でも「もう夕方だからよい子はおうちに帰ろうね~」的な意味で音楽を流しているが、この町の夕方の音楽が苦手だった。たしか春を愛する人は…みたいな歌詞が付く歌らしいが、この物悲しいメロディーが怖くて、悲しくて、とにかく聞きたくなかった。こたつの中で耳を塞いでいた。市内のいくつものスピーカーから流れる音楽が若干のずれを生み、こだまのようにしばらく響いていた。

 

こんな忌々しい歌が響く頃、暮れかかる空に星が見え始める。さすがに大都市から離れ、夜は真っ暗になる地だけあって、星は素晴らしく良く見えた。首都圏に越してから、街の明かりが星空をかき消していることに、山が見えないことにとても驚いた。空に広がる星々を見上げて、私はオリオン座を探した。母と空を見ていたのを今でも覚えている。私と同様に母も天体に疎いのでオリオン座しか分からなかったが。北関東らしい乾いた風に星が瞬いていた。死んだ人はみな星になるんだよ、と母が言った。それを聞きながら、死んだらどの星になりたいかを空を見上げて考えていた。

 

そんな町から大きな街へ、あるいはその逆へと高速道路で赴くとき、オリオン座はいつでも冬の空に浮かんでいた。窓の外を眺めながら、嫌いだったパーキングエリアを通り過ぎ、遠くに畑を割ってできたショッピングモールが見え、「東京まで100㎞」の標識が立っていた。それ以外はほぼ山と畑と田が暗黒面を作っていた。十年一日のごとく高速道路沿いにはけばけばとしたラブホテルが建っていて、ただ南へ走っていく道は単調だった。この道はいつか来た道、いつまでも終わらない道、往けども往けども闇ばかり。そんな歌は当時知る由もなかったがそんな気持ちでいた。いくら進んでも風景はさして変化せず、相変わらずオリオン座がおなじ場所で光っていた。次の春には転居し、二つの町を頻繁に行き来することは無くなった。そのため私の記憶の中ではいつでもオリオン座が出ている。

 

このパーキングエリアが軽くトラウマとなった経緯を説明したい。その時母、私、妹は夜に父の単身赴任先へ行こうとしていた。私は7歳、妹はまだ1歳にもならない頃の話である。トイレに行きたかった私はパーキングエリアに車を止めてもらったが、小さい妹を車の中に残しておけなかったために母についてきてもらえなかった。仕方がないので雨がふるなかひとりトイレへ向かった。ここはパーキングエリアなのでただトイレと自販機があるのみの場所である。広いトイレは全部空いていて、白い蛍光灯が強く冷たく光っていた。いくつもの扉が影を落としていた。ただそれだけと言われればそれだけのことであるが…

 

話を戻そう。私はオリオン座を眺めながら車に乗っていた。県境の川を越えると、急に明かりが増える。大きな工場や物流センターが並ぶ風景が広がる。白や橙色や赤色の明かりで高速道路は急に都会的で近代的な雰囲気を持つ。東京が近い。ここまでくるとあんなにも無数に広がっているように見えた星が見えない。あのオリオン座も人間が作りだした明かりの群れを前に精彩を欠いて見える。私はオリオン座を追うことにいいかげん飽きて、その清冽さが色褪せて見えるほど眩く感じる明かりの洪水を眺めていた。ここまでくると疲れて眠くなり、景色はどうでもよくなっていた。しかし人間の文明の強靭さみたいなものをいくつものオレンジ色のランプやジャンクション近くのループ構造の道路や巨大な物流センターに見出して安心していたのである。

 

変な話であるが私は自然よりも人工が好きなのかもしれない。四方を山に囲まれて真っ暗な自然に近い場所よりも少々空気が悪かろうと騒がしかろうと人間がたくさんいる場所が好きだ。繁華街の人混みに文句を垂れながらも人間が作る賑わいを愛しているのである。街の明かりに紛れてかすんでいるオリオン座を眺めるくらいがちょうどいい。