夜間飛行

丸をください

東京タワーの中と外

高いところが好きで、東京タワーを訪れた際は絶対に外階段で帰るようにしている。はるか先まで街の明かりが続き、下界はとても小さく見える。朱色に塗られた階段をこつんこつんと靴を鳴らしながら降りる。

 

今は知らないが私が小さい頃の東京タワーの内部は怪しい胡散臭い雰囲気だった気がする。ギネス館みたいなのがあって、「世界一入れ墨を入れた女性」の人形が飾ってあった記憶がある。あと蝋人形館。トリックアート的な何かもあったと思う。その印象が強くて当時北関東に住んでいた私は夜の天気予報で「東京」の文字を見るたびに(田舎の子どもとっては東京は遠い場所だ)「アアあの東京タワーがあるところだな」と思った。天気予報の後にお天気カメラか何かが写す東京の景色をじっと見つめていた。お天気カメラはたいてい東京タワーとレインボーブリッジを写していて、その眩さに夜は真っ暗になる町に住んでいた私は魅せられた。

 

私は都会の明かりに小さなころから執着していて、ディズニーランドの帰り道も夢の国から遠ざかり、どんどん暗くなっていく高速道路が寂しくて仕方がなかった。首都高から見えるアサヒビールの派手なビルを過ぎると急速に寂しくなっていく。泣き疲れてそのまま眠ってしまい、次に目覚めたときには真っ暗な町。今も東京の夜景が大好きで東京に居を構えたい位なので小さい頃からの執着心は変わっていないのである。今そこそこ都市っぽい街に住んでいるが、初めてこの街に来たとき高層マンションの沢山の明かりに感動した。どんだけ夜の明かりに飢えてたんだ。お前は虫か。

 

ギネス館と蝋人形館で思うのだが、ちょっと前の東京タワーの中身は見世物小屋っぽい雰囲気だったように思う。(見世物小屋という言葉に差別的意図は無い。)好奇心を煽るような、或いは昭和の熱気や猥雑さの跡のような。人は沢山いるのになぜか翳っていて寂しい。展望台には溢れんばかりの人がいるのにこの辺りは場末のような雰囲気である。子供のおぼろげな記憶なのでなんとも言えないが地元の神社のお祭りや酉の市に来るお化け屋敷のような民俗的な空気に似ている。毒々しい色合いの生命力と翳り。貪欲さを感じるほど土俗的な生命力に満ちているのに死の匂いがする。

 

数年前友達と行ったのはクリスマスだったうえ内部をよく見なかった為かあまり胡散臭さは感じられなかった。知らぬ間にあの雰囲気が消えてしまったのか。蝋人形館がなくなったからなのかクリスマスで盛り上がっていたからなのか。あの猥雑さが東京タワーに最後の神話時代の香りを残していたのに。周りはカップルだらけで世の高校生はどこで遊んでいるのだろう、と友達と話していた。東京タワーの展望台には窓ガラスから人が何人か通れる幅の通路を挟んでベンチが置いてある。そこは全部バカップルどもが占拠している。目の前にはこんなに美しい夜景が広がっているのだが彼らにはそんな夜景はただのロマンチックな舞台装置にすぎないらしく眼中にない。せっかくお金払ってきてるわけだから景色見よう??

 

…まぁ私も「プロポーズされるならここだな」なんて思っていたわけですが。

 

ともかくも景色を一通り見て、ガラスの床に乗って恐怖感を楽しみ、人がごみのようだとひとしきり騒いだあと冒頭の通り外階段で帰るのである。エレベーターで降りていくのは楽で一瞬である。でも私はこつんこつんと自分の足で降りてゆきたいのである。赤い鉄の階段を一段一段降りながら高層ビルや車の流れを見たいのである。前回はクリスマスの時に行ったので街が一段と華やかに見えた。冷たい風が明かりを瞬かせる。あー今度は彼氏と来たい、と友達は言った。どんな人がいいかを話しながら階段を降りていく。私は石油王がいいとかいや次は水素王の時代だとかふざける。結局私たちも先ほどのバカップルどもと変わらず、ここでしなくてもよいことをしている。

 

東京タワーから降りた後にはクレープが外せない。マリオンクレープ。沢山のメニューに散々迷わされて結局バナナチョコクレープにする。そろそろ帰る時間である。一抹の寂しさが心をよぎる。もう暗いところには帰りたくない。しかしながら今は真っ暗な町に帰るのではないし、いつでもまた来れるのである。その安堵感でクレープをゆっくり味わえる。

 

余談だが自分はスカイツリーよりも東京タワーが好き。東京タワーの朱色は明るい都会の夜会に良く映えるし、60数年前からずっと電波を出しながら東京の巡り合いを俯瞰しているのだ。スカイツリーには洗練された無機質さがあるが東京タワーにはドラマチックと情があるように見える。