夜間飛行

丸をください

♡雑感集2♡

最近嶽本野ばらの「それいぬ」を読みました。その中で、「彼、優しいから」と言い訳するくらいなら、潔く「私は理想に破れ、優しさしか取柄のないこんなカスを選んでしまいました、無念です」と敗北宣言するべきでしょう。と野ばらちゃんはいいます。確かに、好きな子には誰でも優しくできますからね。納得です。でも、これをやってしまうと、自分はカスと付き合ってるってわけ???という疑念を持ち始める女の子が急増してしまわないでしょうか。世の中、そんなに完璧な人間ばかりではありません。「彼/彼女は優しいから」ということで、諸々に目をつむり、手を打とうとしている大勢の人間が、この理屈に気づいたら発狂してしまわないか、わたしは心配しています。

 

 

ユーミンの歌が好きです。余白があって、聞き手に想像の余地を持たせてくれる。そしてわかりやすくて上品なフレーズ。「オレンヂのトンネルの中は横顔がネガのようだわ」「邪魔になると知ってて無理にここへきてごめんね」もシンプルだけど心をぎゅっと掴んでくる。きっと、数えきれないくらいの人たちが、掴まれているはずです。普遍的だけど、陳腐じゃない感じ。(浅い考察ですね)ネガなんて、わたしが赤ちゃんだった頃のアルバムに挟まっているのしか見たことない世代ですが、ユーミンの言いたいことが、わかります。

 

 

年金が前期分まとめて引き落としされることになり、わたしはそんな額払えないから毎月払いにして、と年金事務所に電話するべきだったのですが、それを怠ってしまいました。その結果、普通預金と卒業旅行用に積み立てていた口座からわたし的にはまあまあな額のお金が旅立っていきました。とても困っています。わたしが全部悪いのですが、この国の制度に腹が立っています。今後半年は年金を払わずに済むので、その分を積み立てに上乗せすれば取り返せるのですが、わたしなりにこつこつと貯めてきた数か月分の努力がふいになった気がして、悲しいです。それに、まだ月はじめなのに、口座がからっぽなのもやり切れません。今月は極力カードを切らずに、手持ちの現金でやりくりする!と決意していたのですが、ダメそうです。今月どこにも行けません。愚かです。

 

 

映画を観に行きました。王家衛監督の「若き仕立屋の恋」です。「花様年華」もそうなんですけど、この映画はチャイナドレスがたくさん出てきて、見ごたえがあります。映画に出てくる衣装を見るのが好きです。「ローマの休日」はネグリジェとドレスのシーン以外全部同じ服なのに、袖や襟のアレンジで雰囲気を別物に変えているのを見るのが好き。3時間くらいある「風と共に去りぬ」はたくさんドレスが出てくるので飽きずに見ていられます。特に序盤のウィルクス家の園遊会は南部のお嬢様がたくさん出てくるので面白いですし、レット・バトラーとスカーレットの新婚旅行のシーンは数秒ごとに違う衣装が出てくるので一時停止ボタンを何度も押して見ています。

 

 

本当に退屈で、何をやっても楽しくありません。楽しかった時の写真を眺めては、ため息をついています。自律神経のせいだと思っていましたが、最近は調子も良く、他の理由がありそうです。恐らくですが、今わたしが生きている世界が少し狭くなってきたのだと思います。日本の学校教育制度に則り、3年ごとに環境を大きく変えてきたので(小学校も途中で転校しているので、同じ場所に6年いませんでした)、大学も4年目になると、だれてきます。わたしの人生で一番楽しかったのが、この先これ以上よい時代が来ないんじゃないかと悲観するほどの年が2021年、つまり大学2年生なのですが、この年の充実度は、何もかもが物珍しくて新しかったことに起因しているのだと気づきました。今楽しいのは映画を見て、本屋でゆっくり背表紙を眺めて気に入った本を買い、ロリィタを着て散歩すること。それ以外は全部同じことの繰り返し。もう何をやっても2週目3週目なので面白くない。無駄に年をとり過ぎてしまった人の気分です。何やっても面白くない自分を見出し、わたしの青春は終わったと感じました。働きたくないので一生大学生がいいな〜と思っていましたが、この境地に辿り着いてしまった今、社会人になって世界を広げに行くのも悪くないな、と思っています。つまらない大人になりたくない。

 

 

♡根性♡

はっきり言って、わたしは社会不適合者です。いわゆる社不というやつです。

 

就活始めたての頃、適職診断をやってみたのですが、「あなたは特に向いている仕事はありません。強いて言うなら学者かな♡」と言われました。むろん学者さんは、「強いて」なるものではありません。MBTIはINFJです。向いている職業は宗教家とか絵本作家とか占い師とか現実味のない職業が出てきます。ちなみに、営業、事務、受付、接客、軍隊は向いてないみたいです。大丈夫でしょうか。この話をすると、大体納得されます。仕事らしい仕事に向いていないのです。喫茶店のバイトも4日でやめたし、今のバイト先も、朝出勤して、今日も一日客が来ませんように、電話がかかってきませんように、と必死に祈っています。

 

そして、生活に支障をきたさないレベルで、反社会性パーソナリティーがほんの少し入っている。日常にスリルが欲しいタイプ。安定した幸せなんて(今のところ)要らないし、絶叫マシンが大好きだし、歌舞伎町を散歩してるのも、面白くて簡単に刺激が得られるからというのもあると思う。幸いなことに「これをやったら次に何が起こるか」「これをやると自分は何を失うのか」は考えることができるので、社会の規範から逸れる、仕事をすぐやめる、他人を平気でだましたり暴力をふるう、みたいなガチの衝動的な反社会性はありません。人より面白いことがちょっと好きなだけ。でも、少し改めたほうがいいと忠告されました。心配されています。

 

はやりの歌なんて一つも歌えないから人とカラオケに行けません。親と出かけているときに、車で好きな曲をかけていたら、微妙な雰囲気になるから絶対に他人とカラオケ行くのはやめなさいと言われました。全部昔の歌なので、もしかしたら偉いおじさんの接待とかだったら活躍の場を見出せるかもしれません。今どきヒデとロザンナを歌える21歳なんてそうそういないでしょう。立食パーティーが嫌いだし、友達少ないし、いつも同じような服を着ています。最近は黒いワンピースを3着まとめて買って、自宅の黒ワンピが計8着になってしまったので、いつも似たような黒い服を着ています。多分本人以外区別ついてません。社会人になっても着れそうな服なんて、1着もありません。OL失格ですが、そもそもOLらしい職業に向いていなかったので、まぁよろしいでしょう。

 

この社会にいまいち適合しきれていないのですが、なんとか根性でどうにかなっています。根性です根性。努力ではありません。努力と根性は違います。

 

例えば、朝9時に始まる授業に出る為に、前日から電車の時間を調べて、早く起きて、2本早い電車に乗っちゃったりして余裕を持って学校に辿り着けるようにするのが努力。絶対間に合わない時間に起きて、間に合わせるったら間に合わせる!!と自転車をフルスピードで漕いで駅に向かって、ダッシュで乗り換えして、階段を駆け上り、息も絶え絶えにチャイムと共に教室に滑り込むのが根性。あるいは、好きな人に振り向いてもらう為に痩せたり、自分から遊びに誘ったりするのが努力。好きったら好きなの!!と泣いて叫んでどうにかするのが根性。

 

どうにかしてどうにかなっている日々です。なんでこれでどうにかなってるのかよくわかりません。社会不適合者が根性でどうにかしているなんて、最悪です。いつもじたばたして、みっともない。根性で就活して、根性で単位全部取っているのを、全部気力でやっているのを、他人から見るとちゃんとやってる、しっかりした人になるそうです。とんでもない。恐れ多い。あなたはしっかりしているから~と言われるたびに、背中からいやな汗をかいています。

 

そんな感じなので、社会に適合できている人扱いをされると困ってしまいます。これから先ちゃんと生きていけるのかも不安です。努力ではなく根性の人間なので、やるったらやる!と決めたことは頑張れるのですが、それ以外は何もできません。また、年金を半期分前納するって言ってたよね♡払って♡みたいな通知のはがきが届いたのにそんなお金はなく、だったら早いところ年金事務所に電話して毎月支払いに変更すればいいのに電話もかけていません。それに、この一年でおそらくTOEICなりなんらかの資格を取る勉強をしたほうがいいのですが面倒で動けません。世界遺産検定とかしかやりたくない。世界遺産検定でも、何もやらないよりマシでしょうか。

 

部屋と物欲

わたしは、クラスメイトよりも、愛と勇気よりも、図書館と青空文庫を友達にしてきた孤独な子でした。なので、わたしの本棚は大変乏しいのです。おそらく、今まで読んできた本のなかのごくわずかしか、手元にない。お友達ができなくても、愛と勇気に見放されても、別に構いませんが、読書好きと名乗るには少々難ありな本棚の貧しさです。

 

図書館と青空文庫。それはお金がなく、とにかく活字を読みたい人にとって、本当にありがたい存在なのです。小栗虫太郎も、織田作之助も、全集をしつこく読まないと出会えないような太宰治の短編も、確か、「金持ちの家にお呼ばれして、出されたシジミ汁のシジミをせっせと食べていたら、そこの奥様にそんな汚い物食べなくていいのよ、と言われて愕然とした」みたいな話だったと思いますが、全部電子辞書に入っていた青空文庫で読みました。

 

源氏物語も、青空文庫与謝野晶子訳のを授業中も休み時間も使って読みふけっていた時期がありました。世界史の授業以外はほとんど聞かず、源氏をずっと読んでいたので、わたしはいまだに三角関数も英文の中でどれが副詞なのかもわからないままです。結局TOEICも600点ちょいしか取れていないです。恥ずかしくて履歴書にも書けません。前、外資系の化粧品会社にエントリーしようとしたら、TOEICのスコアを入力するところが700点~になっていて、受けるのをやめました。その代わり、源氏物語の登場人物の相関図をかなり正確に書ける自信があります。読書嫌いの妹がきれいな装丁の新訳の源氏を父親に買わせていたのを見て心底嫉妬しましたし、一ページも手を付けないでいるのを見て、父親は買い与える子供を間違えていると確信しました。

 

もし図書館がなければわたしはもう新品では売ってないサガンの「厚化粧の女」にも「心の青あざ」にも出会えませんでした。赤毛のアンは小学校の書庫にあった古いのを引っ張り出して全部読みました。この前、余ったちいさないちごを煮てコンポートを作りながら、小学生のとき好きだった「ルルとララのいちごのデザート」を思い出しました。

 

そんな本が、自分の本棚にはないのです。あの本が読みたいな~となったら、最後に使ったのがいつだったか思い出せたい電子辞書の充電をすることから始めなくてはなりません。今、絶賛充電中です。接触が悪くてうまくいきません。今読みたいのは「絶景万国博覧会」です。紀伊國屋で取り寄せをお願いしていた嶽本野ばらの「それいぬ」で久方ぶりに小栗虫太郎のことを思い出し、読みたくなってしまったのです。紀伊國屋で買い物をすると、無料で本を入れてもらえる紙袋が好きです。持ち手がついていないので、抱えて運ぶことになるのですが、悩んで悩んで買った本を抱いて歩くと、優雅で、文化的で、いい気持になれます。絶対に実生活では見ない、フランスパンが飛び出しているパン屋さんの紙袋みたいな感じ。

 

「それいぬ」はものすごくツボでした。ジェーン・バーキンが好きなことも、サティを聴いていることも同じ。勝手に嶽本野ばらに運命を感じています。彼もわたしも、水瓶座。好きな文章を書く人と同じ星座なだけで、運命を感じるのです。運命とは安直なものです。ちょっと共通点があればいいだけですから。こう見えて、星座占いを信じています。太陽星座だけではなくて、月星座、アセンダント、金星星座、守護惑星など、見ているとなかなかおもしろいのです。ホロスコープが読めるようになりたい。

 

本棚は乏しいですが、その代わり、気に入った本が詰まっています。「それいぬ」もそうですし、「花物語」、「ドグラ・マグラ」、「パノラマ島奇譚」、「風と共に去りぬ」、「水晶内制度」。ミュシャの画集、サティの楽譜、山口小夜子の写真集、岡崎京子、「ポーの一族」など。わずかな本ですが、どれも大切なものです。

 

わたしの部屋はミニマリストが見たら失神しそうなほど物がたくさんあって散らかっています。どうしてこんなに物が多いのか、それは、わたしの消費行動とは、きれいだなと思ったものを、市場から自分の部屋に場所を移す行為だからなのです。本棚もそうですし、手紙も書けないほど汚い字なのに、万年筆に凝り、弥生美術館で竹久夢二の復刻便せんを何種類も買ってしまうのも、これを買ったら今月どころか来月の財布までからっぽになることが分かり切っているのに、BABYの花模様のレースがごってりついたブラウスとヘッドドレスを買ってしまうのも、この思考ゆえなのです。

 

おかげさまで年がら年中金欠ですし、部屋も散らかっていますが、気に入ったものに囲まれて、わたしは幸せなのです。今、わたしの目の前ある収納棚には黒いアイアン製の足が付いた鏡があって、ユザワヤで選んだ生地と綿レースで作ったカバーがかかっています。その後ろには白い額縁に入った「恋する惑星」のポスター。手前には資生堂の「禅」のオーデコロンなど、香水がたくさん並んでいます。足元には学校行きの革のカバンと、お出かけ用のヴィヴィアンの小さなバッグ。小さな祭壇のように、お気に入りのものが飾られています。

 

お金と引き換えに好きなもので部屋をいっぱいにすること、これこそがわたしの物欲の根源でございます。そして、部屋に集まったお気に入りの中で、本当に気に入ったもの、いい買い物をしたな、というものがあります。例えばゲランのミツコ、ラミーの若草色の万年筆など。わたしは性格が悪いので、ミツコを賛美し、これすごくいいよ、と言いますが、絶対にまねされてほしくないのです。ネットでモテ香水、なんて紹介されている香水も、その香りをモテを表現する人も、うかうか乗せられてその香りを買う人と被るのも嫌で、内心試してみたくても手が伸びません。めんどくさいですね。でも、まねされるくらいなら、一日中ほうぼう歩き回って、その人のための香水を一緒に探すほうが、ずっといいのです。話がそれましたが、本棚はそれが顕著です。たくさん読んだうちの選り抜きの本が詰まっています。昨日、「クィア・アートの世界」という本を買いました。本棚にまた一冊、お気に入りが増えていきます。

 

ひとりの春

春は孤独な季節です。

 

わたしは一人が好きです。一人でコンサートにも美術館にも焼肉にも回転寿司にも旅行にもどこへでも行きます。家系ラーメンもひとりで食べられるようになりました。映画は一人じゃないと絶対に嫌だし、カラオケは嫌いです。映画は、一緒に来た人の動向が気になる。そして他人と映画の趣味が合わない。去年みんな見てたワンピースも全く興味が湧かず、そのころはシネマート新宿に通い詰めて王家衛作品を観ていました。カラオケは、だれかが一生懸命歌ってるときにほかの人が静かにデンモクとかスマホとかをずっと見ている状態に、勝手にひやひやして、自分だけはちゃんと聴かねばと必死になっています。リアクションにも選曲にも困る。

 

こういうタイプなので、一人なのは何の問題もないのです。むしろ一人の時間が十分に確保されていないと死んじゃう。でも、春はそうはいかないのです。毎年毎年毎年、いつもこうなのです。選択的ひとりのはずが、非常に孤独で、勝手に疎外感を覚えるのです。どうせわたしのこと、好きじゃないんでしょ、とか、そんなに大事じゃないんでしょ、と全人類に対して思っています。メンヘラの極致、自分勝手にもほどがあります。

 

春だよ!新生活だよ!という、みんなが浮足立つ時期だからなのでしょうか。それとも自律神経がどこかがおかしいのでしょうか。最近ずっとうっすら気分が悪くて、脂っぽいこってりした食べ物があまり食べられない。それでお酢をたっぷり入れた冷麺とかもずくばかりすすっていたら、母親に懐妊を疑われました。目が疲れて、パソコン仕事のバイトがちょっと辛い。おまけにうるさい曲が疲れるようになって、クレモンティーヌとか耳に優しい歌を聴いてる。やはり自律神経の問題かもしれません。

 

友達がいようと、彼氏がいようと(今はいないですが)、家族がいようと、関係ないのです。どうやっても誰かの一番になれない己のふがいなさ、というかそんなことをちまちま考えている器の小ささまで考えて落ち込みます。そうなのです、永遠にわたしは他者の周辺的存在なのです。恋人が金星、親友が水星だとしたら、冥王星くらいには遠いのです。

 

周辺的存在、決して一番になれない存在であることを儚んでいるわけですが、これって自分が、他人をそのように扱ってきた結果が帰ってきているだけなんです。「わたしたち親友だよね」で結束を固める女の子たちを全力で鼻白み、彼氏に夢中なあまり平気で友達をないがしろにする無邪気な女の子を疎み、自分は絶対あんなみっともないのになりたくないと、常に先約優先に、そして行動の単位を一人に設定して生きた結果、これです。いつの間にか、他人に依存しない強い子、みたいなラベルを張り付け、彼氏(今はいないですが)にもう少し自分のことを気にかけてくれても…と言わせてしまうのです。

 

誰かを一番大事にしなかった結果、そうすることをよしとしなかった結果、自分も一番に扱われないというわけです。望み好んでこの状態を作り出しているのです。誰にも依存しないで、ひとりで地面を踏みしめ、この二本足でりっぱに立つ、それを目指して生きていますが、その信条も、春の孤独の前には無力でした。でも、季節が変われば、元通りになると思います。自分を最優先に生きる人なんて現れたら、心底めんどくせえ!と多分思ってる。この季節がおかしいのです。全部春のせいです。

 

絶対春に寂しくなっちゃうひと、わたしだけじゃないと思うんです。昨日、犬の散歩をしていたら、柴犬を連れたおばちゃんが、白くてもちもちした犬(犬種は知らん)を連れたおばちゃんと立ち話しているのを見かけました。柴犬のおばちゃんが、「最近わたし、とても寂しくって」と白いもちもちのおばちゃんに話しています。柴犬がいようと、立ち話できる仲良しのおばちゃんがいようと、寂しいようです。

 

春は、自分だけ取り残されたような気持ちにさせてくれます。実際のところ全くそんなことはなくて、今のわたしは第一志望御社の内定があって、魚を上手に焼けるようになって、お洋服のためにせっせと働いて、卒業旅行と卒論のことだけを考えていればいいお気楽な身分で、そこそこうまくいっているのです。去年の晩秋あたりの、どんづまりみたいな時期から比べると、本当にすべてがうまくいっているといっても過言ではありません。でも、この孤独は、なんなんでしょう。誰かたすけて、とは言いません。柴犬のおばちゃんも孤独に耐えているのなら、わたしも立派に春をやり過ごして見せましょう。

妖怪ケバブ娘

ごきげんようございます。新学期が始まって、キャンパスがどえらい混雑です。しばらくするとこの大混雑は落ち着くのですが、逆にこんなにいる人たちはどこに行っちゃうのでしょうか?混んでいるせいで、2限終わるのが遅れがちなわたしは、学食のラーメンにありつけません。許せません。道をあけなさい。

 

先日、大学でご飯を食べようとして、でも、この混雑の中列に並ぶのも面倒で、新宿まで出て、孤独のグルメと相成りました。ひとりです。4年生にもなると、大体みんな単位は取り終えていて、個人のお好みでぽつぽつ授業をいれるので、よっぽど執念深く履修を擦り合わせないと、友達と同じ授業にはなりません。なのでひとりでランチを食べます。個人的に、新宿のおすすめランチはロールキャベツのアカシア、ロシア料理のマトリョーシカ(スンガリーはちょっと高いからね)、ラーメンなら鶏そばみた葉です。

 

新一年生は、ぱっと見ですぐわかります。女の子は、新品ぴかぴかのブランドのトートバッグに、「想像上のキラキラ女子大生」風の、ゾゾタウンの安い店かGRLで買ったんだろうな、といった、無難にかわいいプチプラ服。なんで分かるかって?来た道だからだね。男の子は5人とかそれ以上の、巨大な群れ。多分1年後には瓦解してるやつ。大学来て学んだことはいくつかありますが、そのひとつに「男の友情は安い居酒屋のレモンサワーよりも薄い」、というのがあります。「あの人たちは、自分の弱さを開示できない、ひろゆきとかマンガとかネットミームでしか会話を成立させられない」と賢明な友人は分析しています。

 

そんな、一年生たちに、わたしが入学したときは、一年丸ごとオンラインだったのに、と老害ちっくな気持ちを抱きつつ、歌舞伎町を目指します。この日のお目当てはケバブサンドです。西武新宿駅沿いの道、歌舞伎町のはじっこに、24時間営業で陽気なトルコ系のお兄さんたちがケバブを焼いています。このご時世にも関わらずお値段は350円。いまどき350円でっせ、奥さん。コンビニだと、冷やしたぬきうどんすら買えない額です。ソースの辛さも選べて、すぐ作ってくれます。味もまずまずおいしい。正直学食の唐揚げ定食とか食べてる場合じゃないです。

 

せっかく晴れているので、どこか屋外で食べようと歌舞伎町の内部へ向かいます。ケバブ屋さんの道を折れて歌舞伎町に入ると、すぐにハイジアがあります。ちょうど、歌舞伎町1丁目と2丁目の境目のあたりの通りです。歌舞伎町の散歩を始めて早3年目、勝手知ったる道です。大学生活の1割くらいの青春がここにあります。夜職でもホス狂でもトー横キッズでもないわたしは、この町において貼られるべきラベルがありません。透明な存在なのです。そのほどよい外野感の居心地のよさにひかれて、この町を浮遊しています。

 

晴れている、平日の昼間の2丁目は、ちょっと鄙びているように見えます。長閑。人はそれなりにいるけど、にぎやかな1丁目よりもずっと静か。ひとくくりに「歌舞伎町」と言っても、1丁目と2丁目では全く雰囲気が違います。ケバブの入ったビニール袋を提げて、少々お散歩。久しぶりです。

 

平日の昼間だというのに、地雷系の服装に身を包んだ、わたしとあまり歳の違わなそうなグループが近くでたむろしています。そのうちの一人、遠目から見るにかなり顔の良さそうな子が、おっさんと相携えてどこかへ消えてしまいました。一体どんな集団なんでしょうか。というか地雷系の、髪の毛の一部分がピンクになってて、ピアスがバチバチにあいてる子たちって、歌舞伎町にいないときは何をしているのでしょうか?その髪色だと、結構バイト先も限られてこない?コンカフェとかガルバとかしてるのかな?あと、近くを通った時、ものすごく凝視された。なぜ?

 

大久保公園の隅に立って、ケバブを賞味します。ほんとは公園内のベンチに座りたかったのですが、汚れが目立ちやすい服でしたし、先客のおじいちゃんたちがいましたし、公園内は喫煙所からの煙がきつそうだったのでやめました。

 

穏やかな昼下がりです。晴れていて日差しが暖かく、近くで働いている人たちが公園の喫煙所で談笑している声がします。日本語学校の窓が開いていて、人がいるのが見えます。地面に座り込んで独り言を話すおばあちゃん。どこで鳴っているのかわからないブザー、カップル、とにかく、平穏ないつもの歌舞伎町。ケバブは、お肉がぱさついています。ひたすら肉だけ出てくる部分と、味気ないキャベツのみの部分がはっきり分かれています。でも350円なので全然許容範囲。貧民の栄養食です。安いのに肉(しかも脂身がない)のたんぱく質と野菜が摂れて、わりに低カロリー。全然許しちゃう。

 

お肉を地面に落っことさないように注意深く食べていると、おっさんが現れました。なんかおっさんがこっちに来た!!!と思ったらですね、何を言い出すのかと思ったら、「待ち合わせ?かわいいから10出すよ」と来ました。ケバブを食べているだけなのに、まさかの援交を持ちかけられてしまったのです、ハイ。

 

内臓脂肪の多そうな、パーカー着た普通のおっさんです。メガネはかけていませんでした。小太り。わたしそういうのやってないから、と言って帰ってもらいました。ここに来るおっさんにひとかけらも敬意を払う必要はないので、余裕でタメ口をききます。じゃあお前はなんでそこにいるんだよ、という疑念のまなざしをわたしに向けながらおっさん、退場。おっさんの疑念もごもっともです。おっさんからしたら、絶対援やってる子に見える。でも、援の子は、ケバブにかぶりつきながら客を待ったりは、しないと思うの。

 

おっさんに帰ってもらったあと、また別のおっさんが来ました。この人はさっきの人よりも小汚い感じ。やはり小太り。なんでどいつもこいつも小太り。もちろん退場願う。というか、わたしのほうが場違いで、おっさんの誤解を招く存在なので自分が退場。のこりは交番の横で食べました。さすがに交番のすぐ近くで声かけてくる勇者はいないだろう。我ながら賢い選択ですね。

 

ひとりめのおっさんに、かわいいから10、と言われました。そうなのです。この日のわたしはかわいかったのです。もちろん当社比です。真っ白なワンピースにはアイロンがきいていて、春の日差しにまぶしく光っています。横浜で買った、ガラスモザイクの指輪をはめました。これは、ベネチアンガラスでできていて、フィレンツェの職人さんが作ったもの。誰に会うわけでもないのにとっておきのお気に入りカラコンをつけていました。ハニードロップスのライトベージュ。これはベージュと淡いベージュがグラデーションになっています。そして、放射状のレンズデザインが、瞳に硬質の奥行きをもたらすのです。きらきらしたビー玉みたいになる。みつあみにまとめた髪の少女性と、濃い赤い口紅のコケットリーの配合に気を付けています。ジャスミンのオーデコロンをつけました。つまり、そこらの汚い、脳みそが下半身にくっついているようなおっさんには不可侵のかわいさなのです。

 

ハニードロップス ウォーターライト(HONEY DROPS Water Light)|度あり・度なしカラコン ワンデー|14.2mm|兎遊たお (hotellovers.jp)

 

気になって調べてみたのですが、S着2、NS3、NN5というのが大体の相場らしいです。そこから女の子の年齢、容姿、諸々の条件で変動する、らしいです。嫌な世界ですね。今回おっさんに提示された額、10は条件によりますが相場の2~3倍のようです。わたしは知っています。世の中で売られているすべてのものは、相場と離れた額で売られているとき、高い理由・安い理由が必ずあるのです。場末のスーパーで大量に積まれたお菓子が安売りされているのは、おいしくなくてよそのお店で売れ残ったのが、賞味期限近くになって流れてきたから。同じ条件の物件よりもぐっと安い部屋は、告知事項があるから。

 

相場よりずっと高い金額で買われたら、何されるのかわかったもんじゃありません。おっさんはかわいいからといい、実際その日のわたしは当社比でかわいいのですが、ぜったい裏があるはずです。おっさんに殺されるのはごめんです。大島てるを見ると、歌舞伎町は炎のマークだらけです。密室でたくさん人が死んでます。援助交際、普通にリスク高すぎでは?

 

実は歌舞伎町を歩いて3年、いろいろ面白い事案がありましたが、援助交際(というと聞こえは柔らかいけど、それって売春では?)を持ちかけられるのは初めてです。大変エキサイティングなエクスペリエンスです。そういう子たち集まるハイジア(大久保公園のお向かいさんの施設)に立ってケバブを食べていた夜もありましたが、声をかけられたことはありませんでした。地雷ちゃんではない、ただの外野なのでね。

 

ハイジアや大久保公園に立って客を捕まえる女性のことを、ハイジア嬢だとか交縁嬢ということは知っていました。でも、わたしは外野。よそ者。飲み会帰りの、あるいは新大久保に来ていた大学生がうっかり迷い込んじゃった、そんな立ち位置。歌舞伎町に生きる人間ではない、という認識だったので、自分が内野だと認知されたエクスペリエンスは、非常にエキサイティングでございました。

 

このおじさんのお金はどこから来ているのでしょう。まさか日本銀行も、こんなところでこんな風に使われるために日本銀行券を発行した覚えはないはずです。平日の昼間からこんなところで、若い女の子に声をかけているおっさん、どう考えてもまともではありません。そんなおっさんが持っているお金も、まともそうではありません。そもそもそんなお金持ってないのかもしれません。

 

大体、わたしはエベレスト級にプライドの高い、少なくとも自己肯定感は高くありたい、と思っている人間なので、人の身体に値段をつける、しかも、かなり一方的に、強引に値段をつけるという行為の傲慢さが我慢なりません。本来人間は自由で、タダなのです。タダであり乍ら、プライスレスなのです。たとえ金欠だろうが相場の2倍3倍の値段だろうが、10は、そのプライドを捨て、拝金主義に走るにはちっぽけすぎる額、はした金です。

 

少女趣味を魂に刻み付けて生きる人間は、こんな傲慢さには屈してはいけません。特別にキュートに、プリティーに生きたい人間は、演劇的な服をまとい舞台メイクのような化粧を施して、いつも気高く一人で立っていなければなりません。たとえおっさんについていけば、お洋服の分割払いが完済できたとしても、欲しいものがぜんぶ買えたとしても、数か月分の年金の支払いができてもダメです。汗水たらして、あるいは人に頭を下げて働いたお金で、ローンを返す、買い物をする、年金を払う。これが誇り高き乙女の魂を持つ、現実を生きる者のやり方です。乙女が売り物にするのは、時間と労力のみ。

 

靖子ちゃんは、「特別に強い乙女心は汚れるほど美しい」と歌っています。これは聞き手の解釈次第ですが、この汚れとは、大人になりなよ、とか普通にしてたらモテるのに、みたいな雑音、理不尽であり、それに迷いながらもまっすぐに生きることが美しい、みたいな意味だと考えています。決して汚れ=おっさんからお金をもらうことではないと思うのです。もちろん解釈次第なので、全然おっさんからお金を取る日々だけど、だけど心の奥の奥の乙女心は失われない、という解釈もアリ、というかこっちのほうが正しいのかもしれません。

 

「私たちは買われた」という女性たちと、「自分の意志で売ったんだろ、被害者面すんなよ」の批判の応酬ををたまにネットで見ます。どっちの言いたいこともわかります。本来タダの身体を売る、そこに値段がつけられて買う人がいる、自分だけのものであるはずの身体が自分の自由にはならない、というところに、事務とか営業とか接客とかとは違う、「尊厳の削られる」感が生まれるのでしょうか。

 

売春は最古の職業である、なんてどや顔で言ってるやつもいますが、人類は一体何年文明やってると思っているのでしょう。人類は愚かで、全然進歩していないようです。歌舞伎町だって、こぎれいな東急のビルが出来ようと、トー横からキッズが追い出されようと、SODランドが潰れようと、結局はやくざ屋さんの事務所がいくつもあって、痴女みたいな恰好をしたガルバの客引きの女の子がいて、交縁嬢がおっさん相手に売春して、まるまる太ったネズミが駆け回る、汚い街からは進歩しないのです。どうしようもないです。そもそもただお昼ごはん食べているだけなのですが、おっさんとのやりとりからそんなことを考えました。

 

さて、来週から、どこでランチを食べればいいのでしょうか。

 

 

♡雑感集♡

すべてがどうでもよくなってしまった瞬間がある。このまま宇宙戦争でも起きて、地球が真っ二つになってしまえばいいのに、と。「エルム街の悪夢みたいにこのまま布団に沈んでしまえたら」って言ったひとが周りにいるけど、わたしのこのどうでもよさ、何をやっているんだとオイオイ泣きたくなる情けなさは、わたしひとり消えるくらいでは割に合わない。全力で地球を巻き込んでいきたい所存。

 

 

知り合いが高校や大学の友達が見てるリア垢で成人向けコンテンツ(のセール)をいいねしているのを見つけてしまった時の、間の悪さ。見てるこっちのほうが恥ずかしいので、いや、そもそも人のいいね欄を覗くなんて悪趣味じゃないかという話なのだが、こっそり教えてあげたい。でも、この人にわたしの言葉はどうやっても届かないので、一生リア垢のいいね欄にエロ動画でもなんでもくっつけておけばいいと思います。

 

 

もしわたしが東京勤務だったら、もし友達が第一志望から内定もらえたら、隣同士のビルで働けるみたいで、とてもわくわくしている。たくさん稼ぐ、かっこいいOLになれるかな。金曜の夜に、待ち合わせてちょっとおしゃれなレストランで、ご飯を一緒に食べられる、優雅なOLになれるかな。この話をして、もうすぐ4年生なのに、今更「東京の大学に来たんだな」としみじみ感じた。世界が開けていくような、未来への期待感が高まっている。激務と言われる職種であり、キラキラした、大志を抱くほかの内定者に押されて、社会人生活が不安でしかないのだが、この子が隣のビルに居てくれるなら、多分大丈夫だという謎の安心感がある。

 

 

最近、自分のダメな部分に関して、それなりに反省している。みんなほんとにごめん。知らない間に人を煽っていたことになっていたりとか、自分は悪くないと確信してやまないところとか、一度こうすると決めたら譲らないこととか、後から後からやらかしを思い出しては、やらかしたなぁ…と自省している。自分でも、自分が超☆個人主義者なのか、他人をぶんぶん振り回していないと気が済まないタイプなのかわからん。

 

 

この前「花束みたいな恋をした」の悪口で盛り上がっていた。わたしはこの映画がはっきり言って嫌いである。好きな人には申し訳ない。観る前から嫌いなのわかってたから観ずぎらいである。嫌いなので、あらすじしか知らない。なんだっけ、「クロノスタシスって知ってる」みたいな曲のYouTubeのコメント欄で見た、この映画に影響されてゼルダの伝説と原作の小説を買って、映画の半権を栞がわりにしているっていうコメントに、これはnot for meだと確信した。多分、自分がクソつまんねぇ平凡なサブカル気取りのしょうもない大学生だから、この、つまんねぇサブカル気取り大学生の、つまんねぇありきたりなしょうもない生活に、共感性羞恥的なものを感じるんだと思う。

 

 

みんなの近況を聞いて、就活とは自己を問いまくるイベントなので「自分は何者なのか」という話を聞いて、それぞれに、自分にはない良い部分があって、すてきだな、と思っている。追い詰められたときに発揮されるポテンシャルの高さ、年下に慕われ年上に可愛がられる全方位敵なしの性格の良さ、日々こつこつと静かに努力を積み重ねる堅実さ、誰とでも仲良くなれて、誰とでも仲良くなれない人のことも気にかけられるコミュ力の高さ、など、それぞれのよさが思い起こされる。適材適所、収まるところにところに収まっていくのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近況報告2023.3.26

退屈である。雨ばかり降っていて、どこにも行けない。

 

なんだかよくわからないまま、ぼんやりとしたまま3月が終わっていきます。本当に何もしなかった。無為。つまらない。何もしなくていい生活、ものすごくありがたいけど、2か月もやっているとだいぶ飽きがきます。このブログも家族ネタばかりです。

 

そして孤独である。友達は就活、家族も前頭葉が縮みはじめたせいで短気になってきた父、いろいろ重なって「大殺界」を自称しているお疲れモードの母、反抗期で始終不機嫌を顔に張り付けている妹、トイプードルとあまりあてにならない。母の愚痴を聞き、トイプードルを吸い、妹には無視され、父は話がかみ合わず、まともに話ができない。たまにかかってくる友達からの電話がうれしい。

 

妹は最近、友達と遊びに行く、といったのに実は彼氏と出かけていたようで、家じゅうからひんしゅくを買っています。もうすぐ中学三年生、さんざん馬鹿にしていたわたしよりもはるかに低い成績で、そんなことしていて大丈夫なんでしょうか。

 

しかもデートに、金メッキのださださのチェーンのネックレスをつけて、へたくそなアイラインを引いて出かけています。理解不能です。品がないのです。この家は、庶民の家ですが、いちおう常識と品性は養われる家です。なんでこんなに、頭が悪そうで、品のない格好になるのでしょうか。

 

わたしだって、そんなに上品・清楚なたちではありませんが、一応、最低限の品性を保ちながら下品なことをしているわけです。ポリシーがあるのです。(そう見えなかったらこっそり教えてください)なんで、なんでこんなに無教養、美的感覚ゼロ、みっともないのでしょう。彼氏も彼氏です。ろくにセットもできないのなら、マッシュなんておやめなさい。

 

もう2か月も出歩いてないので、夜7時くらいでも、暗くて怖いな、と思っています。怖いし、特に用事もないので早く帰宅します。すっかり品行方正のいい娘になりました。2か月ですぜ、奥さん。2か月あれば、この世に生まれ落ちた新生児が、ただ泣くだけだった新生児が、声を発したり、表情が豊かになったりするのです。

 

遅い時には12時頃に帰宅していた人間と同一人物には到底思えません。そのころ7時なんて、夜のうちにも入っていませんもの。歌舞伎町のバッティングセンターでテトリスをした夜、新宿南口の駐車場でモスコミュールを空けていた夜、日付が変わってから渋谷でカラオケをした夜、学校から東京タワー目指して歩いた夜、もう遠い昔のことのように感じます。戻ってきてくれないかな。

 

今のわたしは、本当に、生きている感じがしない。TwitterのBIOに、最近ずっと「生きてる感じするかって聞いてるの」と書いてあります。大体ここは「絶対女の子がいいな」「おばさんになっても抱きしめて」「メアドが変だから好きじゃない」など靖子ちゃんの好きな歌詞を入れていることが多いのですが、最近は、オリジナルの言葉です。己への問いかけです。生きてる感じするかって?否、全くしないのです。眠っているように、ただ息をしています。

 

他者への最高の煽り文句に「生きてて楽しいの?」という問いかけを用いるわたしですが、わたしは今楽しくありません。ありがたいんだけど、本当に暇ってありがたいんだけど、本当に退屈です。世界が狭いのです。楽しくないので、こんな駄文ばかり生み出しています。バイトに行って、時間がたつのをじっと待ち、バイトのない日は延々と歩いて地元のイオンやドンキに行って、でもほしい物がないので特に何も買わずに帰る、という生活をしています。

 

さっきから本当にしつこいんだけど、暇って本当にありがたいのです。退屈を恐れるなんて、ロココの貴族みたいで、優雅じゃありませんか。凝ったご飯を作れるのも、トイプードルを膝にのせて昼寝できるのも、ゆっくり本を読めるのも本当に暇だからできることだし、わたしは長いことこの暇を渇望していた。さっき、一番人生がうまくいかなくて疲れて病んでいた時のメモを見つけて、その追い詰められ加減に戦慄した。確かに、これはそれなりの長さのお休みが必要だった。でも、2か月たつと暇のありがたみも薄れてくる。もっと、短い、1週間くらいの休みを、頻繁にとれたほうが、ありがたみをキープできると思う。

 

とりあえず、もうすぐ給料日なので、3月は労働をしました、ということでよしとしましょう。BABYのブラウスを買って、4月はロリィタ着てお出かけしましょう。高野フルーツパーラーでこの季節に出ている、苺のパフェでも食べることにいたしましょう。

 

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散歩しながら、いろんな音楽を聴いている。偶然プレイリストの順番が、winkの「私たちらしいルール」、杏里の「悲しみがとまらない」の順だった。

 

「私たちらしいルール」は「好きだけど友達の彼だから斜め前の席に座るのが精一杯。あなたと出会うのが少し遅かっただけなのに…」っていう趣旨。「悲しみがとまらない」は「あの時、彼と友達を会わせなければ、友達も恋人もまとめて失うことはなかったのに…」みたいな話。なんだか同じ話を別視点で見てるみたいな歌が並んで、ちょっとおもしろかった。あとは、彼女の友達と浮気したクソ男視点の歌があればパーフェクト。