夜間飛行

丸をください

部屋と物欲

わたしは、クラスメイトよりも、愛と勇気よりも、図書館と青空文庫を友達にしてきた孤独な子でした。なので、わたしの本棚は大変乏しいのです。おそらく、今まで読んできた本のなかのごくわずかしか、手元にない。お友達ができなくても、愛と勇気に見放されても、別に構いませんが、読書好きと名乗るには少々難ありな本棚の貧しさです。

 

図書館と青空文庫。それはお金がなく、とにかく活字を読みたい人にとって、本当にありがたい存在なのです。小栗虫太郎も、織田作之助も、全集をしつこく読まないと出会えないような太宰治の短編も、確か、「金持ちの家にお呼ばれして、出されたシジミ汁のシジミをせっせと食べていたら、そこの奥様にそんな汚い物食べなくていいのよ、と言われて愕然とした」みたいな話だったと思いますが、全部電子辞書に入っていた青空文庫で読みました。

 

源氏物語も、青空文庫与謝野晶子訳のを授業中も休み時間も使って読みふけっていた時期がありました。世界史の授業以外はほとんど聞かず、源氏をずっと読んでいたので、わたしはいまだに三角関数も英文の中でどれが副詞なのかもわからないままです。結局TOEICも600点ちょいしか取れていないです。恥ずかしくて履歴書にも書けません。前、外資系の化粧品会社にエントリーしようとしたら、TOEICのスコアを入力するところが700点~になっていて、受けるのをやめました。その代わり、源氏物語の登場人物の相関図をかなり正確に書ける自信があります。読書嫌いの妹がきれいな装丁の新訳の源氏を父親に買わせていたのを見て心底嫉妬しましたし、一ページも手を付けないでいるのを見て、父親は買い与える子供を間違えていると確信しました。

 

もし図書館がなければわたしはもう新品では売ってないサガンの「厚化粧の女」にも「心の青あざ」にも出会えませんでした。赤毛のアンは小学校の書庫にあった古いのを引っ張り出して全部読みました。この前、余ったちいさないちごを煮てコンポートを作りながら、小学生のとき好きだった「ルルとララのいちごのデザート」を思い出しました。

 

そんな本が、自分の本棚にはないのです。あの本が読みたいな~となったら、最後に使ったのがいつだったか思い出せたい電子辞書の充電をすることから始めなくてはなりません。今、絶賛充電中です。接触が悪くてうまくいきません。今読みたいのは「絶景万国博覧会」です。紀伊國屋で取り寄せをお願いしていた嶽本野ばらの「それいぬ」で久方ぶりに小栗虫太郎のことを思い出し、読みたくなってしまったのです。紀伊國屋で買い物をすると、無料で本を入れてもらえる紙袋が好きです。持ち手がついていないので、抱えて運ぶことになるのですが、悩んで悩んで買った本を抱いて歩くと、優雅で、文化的で、いい気持になれます。絶対に実生活では見ない、フランスパンが飛び出しているパン屋さんの紙袋みたいな感じ。

 

「それいぬ」はものすごくツボでした。ジェーン・バーキンが好きなことも、サティを聴いていることも同じ。勝手に嶽本野ばらに運命を感じています。彼もわたしも、水瓶座。好きな文章を書く人と同じ星座なだけで、運命を感じるのです。運命とは安直なものです。ちょっと共通点があればいいだけですから。こう見えて、星座占いを信じています。太陽星座だけではなくて、月星座、アセンダント、金星星座、守護惑星など、見ているとなかなかおもしろいのです。ホロスコープが読めるようになりたい。

 

本棚は乏しいですが、その代わり、気に入った本が詰まっています。「それいぬ」もそうですし、「花物語」、「ドグラ・マグラ」、「パノラマ島奇譚」、「風と共に去りぬ」、「水晶内制度」。ミュシャの画集、サティの楽譜、山口小夜子の写真集、岡崎京子、「ポーの一族」など。わずかな本ですが、どれも大切なものです。

 

わたしの部屋はミニマリストが見たら失神しそうなほど物がたくさんあって散らかっています。どうしてこんなに物が多いのか、それは、わたしの消費行動とは、きれいだなと思ったものを、市場から自分の部屋に場所を移す行為だからなのです。本棚もそうですし、手紙も書けないほど汚い字なのに、万年筆に凝り、弥生美術館で竹久夢二の復刻便せんを何種類も買ってしまうのも、これを買ったら今月どころか来月の財布までからっぽになることが分かり切っているのに、BABYの花模様のレースがごってりついたブラウスとヘッドドレスを買ってしまうのも、この思考ゆえなのです。

 

おかげさまで年がら年中金欠ですし、部屋も散らかっていますが、気に入ったものに囲まれて、わたしは幸せなのです。今、わたしの目の前ある収納棚には黒いアイアン製の足が付いた鏡があって、ユザワヤで選んだ生地と綿レースで作ったカバーがかかっています。その後ろには白い額縁に入った「恋する惑星」のポスター。手前には資生堂の「禅」のオーデコロンなど、香水がたくさん並んでいます。足元には学校行きの革のカバンと、お出かけ用のヴィヴィアンの小さなバッグ。小さな祭壇のように、お気に入りのものが飾られています。

 

お金と引き換えに好きなもので部屋をいっぱいにすること、これこそがわたしの物欲の根源でございます。そして、部屋に集まったお気に入りの中で、本当に気に入ったもの、いい買い物をしたな、というものがあります。例えばゲランのミツコ、ラミーの若草色の万年筆など。わたしは性格が悪いので、ミツコを賛美し、これすごくいいよ、と言いますが、絶対にまねされてほしくないのです。ネットでモテ香水、なんて紹介されている香水も、その香りをモテを表現する人も、うかうか乗せられてその香りを買う人と被るのも嫌で、内心試してみたくても手が伸びません。めんどくさいですね。でも、まねされるくらいなら、一日中ほうぼう歩き回って、その人のための香水を一緒に探すほうが、ずっといいのです。話がそれましたが、本棚はそれが顕著です。たくさん読んだうちの選り抜きの本が詰まっています。昨日、「クィア・アートの世界」という本を買いました。本棚にまた一冊、お気に入りが増えていきます。