夜間飛行

丸をください

自由の買い方

 

 気が付けば、自立することだけを考えていた。

 

私は不動産屋さんでバイトしているから実家住まい大学生にしては賃貸物件関係はちょっと詳しい(お客さんのお部屋探ししたり間取り図書いたりしてる)。はっきり言って閑職なので勝手に物件情報を見ながら夢想している。ちなみに物件情報はどこの不動産屋で見ても一緒(使ってるデータベースが共通)だから何軒も回っても得られる結果は同じだよ。店員のセンスとかで違いはあるかもだけどどこのお店に仲介手数料が入るかどうかの違い。ネットで探した方がいいよ。D-roomは保証人不要だし設備いいよ。臆病な彼氏とメキシコ一人旅の豪胆な彼女のCMやってるよね。

 

話が逸れた。神楽坂に住みたい、中野もいいな、でも都内は高いから川越でもいいかも。みたいな他愛もない想像で「社会人になった私の住まい」を夢見る。こんな女に時給千円払っていいのか、弊社。そろそろ1200円に上がるらしいが。とにかく、私は早く親元を離れたい。そして都内で一人暮らしをしたい。神楽坂に住むにはお金がかかる。一人住まいで、小綺麗なところに住もうとするなら10万は見たほうがいいだろう。だいたい、家賃は収入の三分の一に収めましょう、というのが通説だから30万は越せるくらいの月収が必要。貯金もしたいし旅行も行きたい。どれだけ狭くてもいいから小綺麗なところに住むのが理想なのでそこそこ稼げる女にならないといけない。

 

10万の部屋に住むのは簡単じゃない。さっさといい会社に就職して自分のことは自分で始末をつけられる人間になりたい。東京の家賃の高さを知っている社員さんは県内に住むか、できるなら実家に居なさい、という。でも私は自由が欲しいし、都会が好きなので家賃が高くても東京に出るつもり。田舎者の街の灯りへの執着とは恐ろしいものだ。蛾か。骨の髄までしみ込んだ都会への羨望。そして私の家にわたしの自由は無いからせいぜいお金で買わないといけない。世の中お金で解決できる問題は沢山ある。「神楽坂でそこそこの暮らしを営める20代OL」になることが私の当座の行動目標だ。

 

 本当にどうしようも無い話だけど自分の物理的・心理的両面に土足で踏み込んでくる家族を最近無理だなって思い始めた。自分の部屋はあっても中で妹の部屋と繋がっているから(姑の意向に逆らえなかった二世帯住宅感)事実上の妹と同室。余裕で親がドアを開けて入ってくるし、妹側のドアを開けられたらどうしようもない。プライバシーの概念がないから箪笥を勝手に開ける。エアコンがない代わりに収納が大きい部屋をもらったものに家族全員の布団が詰まっている。妹の部屋からエアコンの冷気はあまり来ない。前に友達とzoomしてたら急に入ってきて、「誰その人?おじさん?」って言ってくるし友達はおじさんじゃない。授業受けてても普通に入ってくる。夜に布団に転がりながら電話、なんて夢のまた夢で玄関とか洗濯機の横で電話してる。「自力で帰ってこれる時間」が門限だけど10時までに帰ってこないと電話がかかってくる。彼氏や友達にもらった大切な贈り物にケチをつけるな私と妹を比べるな文句があればそういってくれ私は察せない貴方が嫌う人やモノや音楽や小説は私がそれはそれは大切にしているものなのに。少女椿夢野久作東京事変シャンソン姫カットと濃い色の口紅と甘い匂いの香水とワンピースを偏愛する私と趣味が合わないことは目に見えている。

 

見せかけの愛情なんていらない。結局は私は自慢の材料に過ぎない。上智に受かったときの得意げな顔で親類知人に報告した時といったら!受験生当人たちが進路に関する話はデリケートに扱っているのに大声で高笑いする卒業式!私はあなたの分身ではないんだよ、若干18歳自我をもって毎日生きている別個の人間よ。高校に落ちた時も私の心配よりも私だけ落ちたこととか周りのお母さんに同情されて辛かった、どうしてくれる!とか自分の面子とか体裁ばっかり気にしてたよね。「あの人たちに負けて悔しくないの?次は負けないようになさい!」って高校時代三年間言われてきたけどそんなこと本人はまったく望んでいないのである。私がよその子のママに高校落ちたことで馬鹿にされてもどうにもならなかったように他人の大学を笑ったってどうにもならないのに。

 
いや、前々から無理だとは思ってはいたんだけど、大学に入って周りを見渡した時、自分がいかに閉じ込められているのか、親の意向を聞き入れているのかに気が付いてしまった。他の人たちはこんなに自由なのに、闊達なのに私だけ箱入り娘で何も知らなくて狭い世界で生きている。何をするにも親の意見を聞いてしまう自分が嫌いだ。
 
 
でも私大に通わせてもらってる身だから親の言うことはそれなりに聞かないといけない。情けない。受験料50万円も返さなきゃいけない。小さなことだけど積み重なって辛くなることが多すぎる。今も些細なことで喧嘩して、庇ってくれる人はいなくて、家族鬱に片足突っ込んでいる。ただでさえオンライン授業のせいで家にいてばかりなので家族と顔を合わせてばかりなのだ。サークルのために週一で東京に行っているが、そこでようやく深呼吸できる。人波に紛れて誰でもない中のひとりになれる気楽さが好き。たくさんの人が歩いている中で私は自由に歩けて、顔が付いているようでついていない孤独を享受できる。賑やかなはずなのに感じるのは静寂。静謐な新宿東口。家に居れば家族が揃っていて、決して孤独ではないはずなのに孤立している気がする。疎外感。私を悪く言う時は家族は一致団結している。寂しい。
 
よその家のことは知らないから何とも言えないが多分毒親ではないだろう。ただ折り合いが悪くなってきただけ。世の中いろんなおうちがあるだろうが、人それぞれの幸福があるように不幸もそれぞれだから恵まれて見える人が幸せだとは限らない。黙っていれば誰も内側は分からない。あまり自分を可哀そうがりたくないからというのもある。こんな愚痴ばっかり書き連ねているわけだから哀れみとか失笑を買いそうだが。
 
あ、でもこの前私がまだ風呂に入ってないの知っててお湯全部抜かれて綺麗に掃除されてたのは傷ついた。その時生理痛が酷くて、お湯につかって体を温めたかったのに。ちょうど涼しくなってきたころで、薄くて手足を覆ってくれないパジャマとタオルケットにくるまって痛みと寒さに耐えたのは言うまでもない。
 
こんなどうでもいいことで家庭が嫌いになる自分も大概馬鹿だ。こんなんで10万の部屋に住める大人になれるのか。やってみないと分からないがゆっくり湯船につかりたい。自分だけの相互不干渉の城。さっき言った通りいま些細なことでもめているのだが、これは中身がどうしても歯向かわないといけないような重要なものだから、というわけではなく、このままずっと親に従順でいることへの焦りとか疑問とかが一気に噴出してしまった結果なのである。
 
 
だから私は自由を買う。

18歳

最近サークルに入ったので先輩がたと関わる機会が増えた。んで年齢を聞かれて、18ですって言うと大抵若い!って感じで反応される。私は現役入学かつ早生まれなので同期のなかでも最年少なことが多い。成人の日を迎えてもまだ19歳な位には早生まれなので。

 

そこで私は「18歳」について深々と考えてしまうのである。先輩といえど離れていても21歳である。3歳くらい人生80年のなかでは大差ないんじゃないかとも思うがなかなかそうもいかないらしい。

 

確かに15歳は私から見ても相当若々しい。15歳の時私何してた?好きだった男の子に全力で振られ!高校受験に失敗し!別の人の彼女になり!数1に泣き!化学に泣き!進研模試で数学28点を取り!ヘッタクソな化粧をし!似合わないことに気づかず真っ赤なリップを塗って!(彼氏いるのに)男子校の文化祭へ行き!そこで踊った人と連絡先を交換し!ダサい服を着て!エトセトラ、エトセトラ…兎に角恥ずかしいくらい✝黒歴史✝な15歳を全力で生きていた。書いていて恥ずかしい。神様、全部なかったことに!

 

いや、中3の自分(14~15歳)は本当に黒歴史しかない。まじで。受験間近の12月に夜通しYouTubeで「ライチ☆光クラブ」の映画を見ていたし、大声で歌いながら廊下を走っていた(吹部にはこういう子が多かった)。何を思ってか「お月様が見てる…」と急に言い出したりしてた。恥ずかしい。周囲の皆さま、その節は温かい目で見守って下さりどうもありがとうございました。早生まれなので1年遅い中二病が発症していたのです。ライチと少女椿中二病の定番ファッションアイテムですが普通に今も好きです。ジャイボへの愛。ライチのせいで学生服好きになった。

 

(18歳っていうタイトルなのに15歳の黒歴史博覧会の様子を呈している)

 

この路線で行くと3年前は黒歴史になるのかもしれない。先輩方の言う「18歳は若い」というのは黒歴史の積み重ねだろうか。多分21になった私はこんなことを書いている18の私を黒歴史だと笑うだろう。3歳ぐらい大差ない、と書いたそばから宗旨替えするが3年後の自分は今の自分とはかなり異なっていると思う。ちょうど、15歳の私が3年後にぐっと大人に、あか抜けた姿になることを期待したように今はそう思っている。

 

実際は大人っぽくもあか抜けてもいない。残念でした!今日一日中家にいるからって高1の冬に買ったスカートを履いていたし、髪染めてピアスを開けたぐらいの変化はあってもほとんど変わっていない。むしろ姫カットになってるから厨二感、地雷感は増大しているかもね。さらに女子高だったからか恋愛観もとい男女観も15歳からなんら進歩していない。これは女子高のせいではなくほかでもない私のせいだけど。だから共学出のマブダチの話を聞いていちいちおったまげている。お泊まりデートぉ??

 

15歳の私は18歳を大人だと思っていたが現実はそんなことなかったのである。もちろん自分の自由意志でできることは増えた。バイトもできるし欲しいものを誰にも文句を言われずに買えるようになった。行動範囲も広がった。でも幼いのだ。自分でも嫌になるほど子供っぽい容姿と性格!無理。ピアスを開けても髪を染めても全然変わってくれない。なぜ。根底は何も変わっていないし根っこがこの調子なのでこれが容姿にも影響を及ぼしている。もしかして真剣に「永遠の16歳」的な、美少女戦士的な何かに実は選ばれていますよ的な何かなのか。永遠の16歳だったら松本伊代だね。美少女戦士じゃない。

 

思えば昔から「あなたは変わらない」といわれることが多かった。高校に進学したあともみんな中学の先生たちから変わった、JKっぽくなったなどと言われていたが私は変わっていないと口々に言われた。今もインスタで高校同期の近況を知るたびにみんな変わっていくんだな、という気持ちになる。どんどん髪が明るくなったり深夜にドライブしていたり親からプレゼントされたらしいよう分からんブランドのバッグの写真や酒瓶がしっかり映ったストーリーを見るたびにその思いは強くなっていく。何も変わらない自分と彼女たちの違いは何なのか。金髪にしたくもないし酒いきりになるつもりもないが多少の変化が私にもあって然るべきじゃないか。

 

先輩方の言う「18歳って若い!」の正体が何者なのかがさっぱり分からないまま、あか抜けない自分に自分であきれ返る今日である。早く大人になりたい。

 

 

 

 

 

選ぶ側と選ばれる側

n回目の「どうしてお前は選ぶ側だと錯覚しているのか?」である。自分は数弱だから偉ぶって数学用語を使うとそのうちボロがでるので「n回目」を使うのは今後避ける。

 

世の中で生活しているとその場に存在するだけで容姿を勝手に比較・評価されることがある。本当に辞めて欲しい。どうしてお前なんかに私の外見を評価されないといけないの?その権利貴方にある?どうして自分は選ぶ側だと思ってんの?なぜ?その自信はどこから湧いてくるの?

 

私は忘れないからな。生まれて初めて外見で扱いを変えられた時は悔しくてむせび泣いた。許すまじ。「そこそこかわいい子」で通用した小学生だったし、容姿より偏差値が重んじられた中学校に通っていたし、すべての女の子に人権があった女子高出なので、露骨に外見がものをいう世界に足を踏み入れたのは実は大学が初めてだ。てめぇの好みの外見じゃなくて悪かったな!!

 

てめぇのために髪を巻いて化粧をして服を着て笑っているんじゃない。てめぇの好みの女になろうとなんてしていない。てめぇに愛されたいなんて思ってない。私はほかでもないわたし自身が私を大事にできるように、なりたい姿に少しでも近づけるようにやっているだけ。勘違いするな。決して誰かに選ばれるためではない。

 

私たち(たち?他の人は違うポリシーで生きてるだろうから一くくりにできないけど一応。)がいつまで経っても選ばれる側にいるのはどうしてなんだろうって思った。誰か教えてください。

 

さっき「容姿より偏差値が大事だった中学校」って話をしたけど、完璧にそうだった訳ではなく、 お年頃の集団なので多少は容姿が話題に上ることもあった。当時そこまで気にしてなかったし失礼しちゃうわ位に思ってたけどよくよく考えるとん?ってなる話がある。ざっくり言うと、「顔は〇〇(私)体は△△(別の子)」とクラスの男子が好みのタイプを語っていた。きもい。きもすぎる。中学生の何気ない話だと片付けてしまえばそれだけのことだ。それでも(こんな風に思うのは仕方ないとしても)身近な女性を欲望を含んだまなざしで見ていることをパブリックな場で発言するのは褒められたことではない。選ぶ側である意識が弱冠14歳の段階からすでにあるのだろう。この話のせいで私は無駄に恥ずかしい思いをした。仕方ねーよお前胸ないから、などと沢山言われたように記憶している。今だったら全員倒す。

 

だからといって他人の容姿と美醜を考えることは否定しないしできない。人間は美しいものが好きだから。でもそれを態度や言動に表すのはいかがなものか。その気持ちはぜひ心の中にしまっておいてほしい。好ましくない、醜いと思うものをあげつらって蔑むことは特に。いつか痛い目を見る。

 

てめぇのせいで人からどう見られているのかが分からなくて怖いんだよこっちは。自分の好きなように爆走して生きていく所存だけど、たまーに我に返る。これでいいのかすごく不安になる日がある。自分の顔が嫌いになりすぎて鏡を見れない日がある。薄志弱行。そろそろあらゆる矛盾のボロが出てきそう。

 

私の顔や体はお前の基準で評価されるものではないし、お前の基準で測れるものではない。そこんとこよろしくお願いしたい。さっきから顔顔顔顔うっせえな自意識過剰だわと思われるのは仕方ないと思っております。でも顔って人の重要な判断材料でしょう?侮れないと思うし自己満足的に重要な要素なので私はよく顔について考えてる。

 

「選ぶ側」だと勝手に思い込んで他人の品定めをするお前なんかこちらから願い下げだ。いつまでも「選ぶ側」の椅子でふんぞり返っているなよ、蹴り落とすぞ

 

現実的なキス

少女漫画が代表例なんだけどさ、「キス」って異常に美化されているよね?そして相手は学園一のツンデレイケメンだと相場が決まっている。リンゴの毒で眠った白雪姫は王子様のキスで目が覚める。カエルから人間に戻る。もれなく?夢みがちな少女たちは美化されたロマンチックなくちづけをする日がいつか自分にも来ると信じている。

 

今はまったく聞かないが「ファーストキスはレモン味」なんていう意味不明なフレーズもあったよね。今の小学生は知らない。直前にサクレレモンか何かを食べてたんですかね。欺瞞。この意味不明フレーズの由来なんて知りたくもないがお菓子会社のキャッチコピーっぽいよね。

 

だがな、現実というのはそう甘くはないと思う。「あくまで」そう思う。ほとんどまともな恋愛をしてこなかったのでほんとのところはどうなのか分からないが。きっと大したことないんだろうね。うんうん。期待してない。後に残るのは微妙な空気感。私はその空気感に耐えられるほど大人じゃない。

 

この話の類として「結婚」も理想と現実の差が激しいのではないか。大すきな彼と一生一緒に居られるなんていうのはとんだ夢物語かもしれない。結婚式とか指輪のロマンチック性に夢を見すぎている。人間の生活なんてそんなきらきらしたことばかりじゃない。

 

わたしみたいな捻くれてる思考は人生がつまらなくなっちゃうね、もっと楽しい思考回路を持とうね自分。

 

 

アイメイク

先週遊びすぎてバイトに行けない体になってしまいました。先月余裕で五連勤やってたバ畜人間と同一人物とは思えません。ディズニー行って富士急行って新歓行ってライブビューイング行って、私はもしかしてもしかして大学生???お金ナイネ!

 

最近のアイメイクが気に入っているのでその話をさせて!すごくかわいいの!

 

まず適当に下瞼に濃いめのブラウンをしっかり塗る!んでほぼ毎回塗りすぎて焦るから指でぼかす。上瞼は目尻が濃くなるように縦割りグラデーションにする。下瞼にブラウンを入れるのは香椎かてぃちゃんの影響。これだけで私の目元の治安は西川口。本家香椎かてぃちゃんの治安はデトロイト並みなのでまだ私の治安はいい。

 

私アイシャドウはエチュードハウス派なので上瞼にはメープルロード、下瞼には単色シリーズのBR406を使ってる。イエベ秋なんでメープルロードがはまりまくっている。上瞼には気分でtoo faced のなんとかホイップ?っていうリキッドシャドウを塗ったくってる日もある。エチュード派だけど涙袋にはマジョマジョのゴージャス姉妹(叶姉妹?)を愛用している。叶姉妹で思い出したんだけど、昨日友達が叶姉妹が出てくる悪夢をみたんだって。お尻が痛いみたいで意味不明だけどなんかかわいそう。

 

そしてエチュードのBE02?の激しめのラメを目頭と黒目の上と涙袋にちょんちょちょちょーんって軽めに、でもしっかりめにつける。マスクのせいでリップが見えないからせめて目はきらきらに派手に!(リップが見えてても目はきらきら)

 

ライトブラウンのアイライナーでダブルラインとほぼ意味がない控えめな切開ラインを書いて、黒のアイラインを長めに引く。吊るか垂れるかはその日の気分で。アイラインは黒が多い。「ブラウンの方がナチュラルよ!」って言われても私はメイクにナチュラルを求めてないからあえて茶色にする日以外は絶対黒。がっつり横幅作っていこうぜ

 

しっかり睫毛を上げて、マスカラ下地で無から睫毛を錬成して、ドールっぽい睫毛をめがけてマスカラをたっぷり塗り付ける。マスカラ以外のメイクをやった後に髪の毛を巻いて、その時のアイロンの余熱でビューラーをあっためると省エネかつ睫毛がめっちゃ上がる。開眼。目がひらくひらく。マスカラはマジョマジョ派。見た目が可愛いから。

 

わたしはメイクをする時は気分ぶちあがる曲だとかその日のなりたいイメージに合った曲をかけてることが多い。思いっきり可愛くなりたい日は「チャイナアドバイス」「断捨離彼氏」「女の子は誰でも」「絶対彼女」「フェイズ」。自分の顔を少しでも肯定できるように、私に可愛いの魔法をかけてくれる曲を選ぶ。女の子はお砂糖とスパイスでできてるから自己満的可愛いを追求していく所存。謎理論だけど自分が納得できれば十分。うぉーあいに。

 

長々とアイメイク語ってきたけどほんとはリップの方が好きなんだよね。沢山持ってる。そろそろ涼しくなるから、ブラウンのリップを付けたい。ルブールルージュのボエームが似合う季節になる。未開封のリップ3本くらいあるのにマスク着用とかない。未開封溜まってるのにズーシーの彫刻リップ買おうとしているんだよ?アナスイのリップも欲しいんだけど?でもお金ナイネ!どうする??狂気。

 

 

 

 

 

 

 

暑いけど神社の話をしたい

通っていた高校の近くに割と大きくて有名な神社があって、よくそこに行っていた。せっかくなのでこの神社の話をします。名前を出しても構わないんだけど、一応のプライバシー保護のために伏せておく。多分これを読んでくれるかもしれない何人かは知ってるところ、馴染み深いところなのではないか。裏垢特定サービス?がネットを騒がせているが特に裏でも何でもない公開アカウントにこのブログを紐付けているので個人情報はボカシめで行こうと思う。悪意で特定されたら困っちゃうからね。某先輩がTwitterの情報からブログ特定されてたし(あれは実名でやる方が悪い)ネットネイティブ世代のネット運用能力は侮れない。

 

本題に入るが、この神社は私の高校生活の一割分くらいの思い出がある場所なのである。初めてギターを買った時もここの参道を歩いて帰ったし、放課後に友達と遊びに行ったし、合格祈願にも行った。高校卒業した後にお花見もした。当時の彼氏と初詣や境内の酉の市に行ったこともある。懐かしみ。

 

まず参道がいい。いつ来ても清涼な風が吹いている。大木の並木道だからなのか(地図をを見たり俯瞰したりすると木々が延々と続いているのがよく分かる)、はたまた神様の気配なのか気持ちがいい場所。五月は新緑の木々からの木漏れ日が清々しく、酉の市の夜は特別な風情がある。散歩している人も多い。境内までかなーり長い道のりだがあまり苦にならない。一人で黙々と歩くのもいいし、だれかと話しながらゆくのもまた楽しい。参道の周りにはお洒落なお店が並んでいて、そこで休むのもいいだろう。この落ち着いた住宅街の中の参道は生活に根付いた道なのである。

 

もしかしたらこの神社の良さは参道に集約されているのかもしれないくらい参道は素敵な道だが本体の話もしておく。大きな鳥居をくぐって、少し進むと池に架かった赤い橋がある。卒業や七五三の季節は晴れ着を着た女子大生や子供たちがこの辺りでよく写真を撮っている。赤い橋とその向こうの本体(私は神社詳しくないからメインの建物の名前が分からない。拝殿?だっけ。)は写りがいいのだろう。日が暮れると沢山の提灯の明かりが灯される。夢幻的にも見える景色に神秘を感じる。教会のステンドグラスや神社の提灯は神の存在を見るものに視覚的に示す効果があると思う。

 

酉の市の日は「日本の年の瀬」の匂いをじかに嗅ぎ取ることができる。的屋さんの屋台が立ち並んでいる。大小の熊手が並べられている。大きな熊手を担いで歩く人がいる。寒いはずなのに人々の熱気がある。行き交う人々に押されて歩く。

f:id:mitukonuit:20200904232520j:plain

これ実際に私が撮った写真ね。いいでしょ。コロナウイルスが存在しない過去。暫くはこういう風景はお目にかかれないのだろう。虚しい。所狭しと熊手を売るお店や屋台が立ち並んでいるから普段とは全く違う様子で、自分が今どこを歩いているのかがよく分からなくなってしまう。私も何か買いたかったのだが酉の市に行った日は丁度テスト週間で、酉の市で遊んでいた形跡を家人に悟られたらまずかったので自重した。年末の、何となく皆がせわしくて活気のある、冷たい空気をかき回す熱気を私は愛している。単純に今暑いから冬を美化しているだけ、という説もあるが。


私はこの神社が好きだ。どれくらい好きかというと結婚するならここで神前式したい位。結婚できるか知らんが。ちょっと厳しいかな。仮に結婚できたとしてもここで式は挙げられないかも。いずれにせよとても酉の市に行きたくなったので早くコロナが収束して今までの賑わいが戻りますように。

 

 

 

 

 

 

読書感想文「きもの」

ネタ切れと掛け持ちで始めたバイトのせいで疲れてしまって、長らくブログを更新できなかった。こういうのは一度さぼるとさぼり癖が付いてしまって危険。

 

幸田文先生の「きもの」は私の中でかなり上位に食い込むほど好きな小説だ。ちなみに一位は蘭郁二郎先生の「夢鬼」。次点夢野久作先生の「ココナットの実」。夢野久作全般好きです。夢鬼は青空文庫で読めるから暇な方ぜひ読んでね。

 

んで、「きもの」なんだけど、ざっくりいうと四人兄弟(うち三人が女の子)の末っ子のるつ子がお祖母さんや友達や姉妹、父母とのかかわりを通して着るものについての見方を深めていく、っていうのが物語の大筋。るつ子の幼少期から結婚までが描かれていて、未完のまま。

 

るつ子たち三姉妹はそれぞれ着物への執着心や着物の好みが全く違う。長女は優美で贅沢なもの、次女のみつ子はぼってりと派手な柄行、三女るつ子はすっきりした柄で着心地のいいもの。なぜか長女は名前が明かされていない。今も昔も姉妹でおさがりを着たりすることはよくある。るつ子は三女なのでおさがりを着せられる。小学校の卒業式もみつ子の牡丹柄の着物をあてがわれた。これはるつ子曰く着心地が悪い。るつ子はみつ子に「これは良く映える」みたいなことを言われ、派手さよりも快適さを選んで普段着で式にでる。のちにるつ子はみつ子のおさがりの横段の着物を気に入ったものの、横段は体のラインが分かりやすいために変質者の被害に遭うなどみつ子の着物とは折り合いが悪い。(お祖母さん曰くみつ子が横段を着ると「樽」になるらしい)

 

上の姉二人は着物への執着心が強く描かれている。主人公るつ子との対比が激しい。もはやるつ子を良く見せるための戦略ではないかと思う。特に長女は酷い。一人目の娘で美しい長女は母から甘やかされ沢山の着物を持っている。華族に憧れる長女はるつ子の友達(華族)のゆう子の親族の青年と親に内緒で出かける。その着付け係としてるつ子をこき使うのである。次女のみつ子はるつ子のためにと母が用意した反物を無理に見ようとしたり、るつ子が明らかに不利になる取引をしようとする。

 

二人の姉の性格は結婚後印象的なものになる。

長女の性格は開業医と結婚してからますます強烈になる。立派な嫁入り道具を揃え、結婚後も母の病気のためにとあたかも贈与のようにいって寄こした立派なシーツに見返りを求めたり親の前でだらしなく座ったりと長女はどんどん残念な感じになってしまう。次女みつ子は横浜の商家に「着物はいらない」とお金を持って嫁いだ。母が病気になった際は母のために布団を作るるつ子に布団代の足しにとお金を置いて行った。気位が高いながらも細やかな心を持っていた長女とあまり人の気持ちを考えないみつ子が結婚を経て変わっていったことにるつ子は驚く。

 

さらに関東大震災が発生して二人の姉は変わっていく。

ちょうど出産を迎えた長女は嫁ぎ先の病院で寝ており、見舞いに来たるつ子を周囲にいい顔をするために働かせる。そして震災で着物を焼いてしまった兄や父にと舅の古着を持たせようとする。「父が一度たりともお姉さんに古物を着せたことがあるか、こういう時は手ぬぐい一本でもさっぱりした新品を贈るべきでは」とるつ子は着物を拒否する。(これに腹を立てた姉はるつ子の結婚の際に自身の立派な嫁入り衣装は貸さないと言って寄こした)みつ子は震災に巻き込まれやけどを負ってしまう。髪を短く切って洋装でるつ子の前に現れたみつ子は家族の大切さや家族がいる幸福を語る。

 

もう疲れてきたから姉妹の間柄だけ書いて他は割愛するが、着物一つを中心に女心というものは幾通りにも描けるのである。貧しいながらも自立した強い意志を持つ和子と華族のお嬢さまのゆう子という二人の友人や様々な心意気を伝える祖母、良き理解者である父、折り合いの悪い母、と周囲の人から影響を受けてるつ子は成長する。私はるつ子が祖母や父の影響もあってかさっぱりした性格の持ち主であることを好ましく思っているのだが、物語の一応の結末である結婚の場面が実はあまり好きではない。父の意向に反してあまりるつ子の気象に合わない青年にるつ子が恋をしてしまったのだ。ついこの間まで7人家族であったのに娘を二人嫁に出し、母が亡くなり、さらに祖母と父が愛したるつ子が震災後の混乱の中で親の意に背いた結婚をする一家の寂しさが手に取るように伝わる。新婚旅行先でるつ子が父の愛人そのの心づくしで用意された美しい浴衣を着て新郎保二の妻になる場面も未完だからか「これで終わるのかよ」というあっけなさが読者的に満足できない幕切れとなっている。

 

幸田文きもの帖」という随筆集が出ていることからも幸田文先生が繊細な着物への意識を持っていたことが伺える。るつ子の粋な好みに理解を示した父は実際の幸田文先生の父幸田露伴先生がモデルになっているのではないかと思う。文先生は離婚しているので保二はたぶん元夫がモデル。最近読んでいなかったのでまた読み直してみようかと思う。ヘッタクソな駄文でこの小説の良さが全然伝わらなくて申し訳ないのだがほんとに面白いので気になった方はぜひ読んでみて下さい。さいなら。