夜間飛行

丸をください

昭和95年の場所

探している場所があるのでもし知ってる人がこれをご覧になっていたら教えて下さい。


東京のどこかなんだけど、駅に繋がる近道、みたいなの感じで、商店街に「近道」とかなりレトロなフォントで描かれた小さい入り口がある。その入り口から入ると、外の喧騒が嘘みたいに静かで、昼間なのに寂れた雰囲気が漂っている。多分地下に降りるといくつかお店があって、東南アジアっぽい料理屋さんだとかビデオ?が売ってるお店がある。結局近道なのかはよく分からない。不穏な空気に呑まれるので時間が長く感じられる。まるで別の世界に迷い込んでしまったようで、言うなれば「昭和95年」みたいな、時が止まったままの世界。何年も前に偶然足を踏み入れてしまっただけなのでもう一度行ってみたい。その時は昼間だからこそかえって恐怖感が強かった。時代の趨勢に取り残された地下。


もう一つ探している場所があって、そもそもここは実在するかすらも分からない位幼い頃の記憶である。(さっきのはまだ記憶が正確)これはどこにあるのかほんとに分からない。これも東京のどこかの駅の記憶なのだが、改札を抜けた後なのかはたまた駅構内なのか、人通りはたくさんあって賑わっている。薄暗い登り坂で、道の左右にはお店があった気がする。「散髪700円」みたいな看板。安い。お店の灯りが通路を照らしている。私は父に手を引かれて平成の割に古くさいその通路を歩いている。今もぼんやりとしたイメージが残っている位だからかなり強烈なインパクトを私に与えてとみえる。九龍城塞に似ている、千と千尋の神隠しに出てきそうだな、と後になって少し思った。


私の知る限りこの様な雰囲気の場所は上野だとか浅草だとかの下町側にあるはずだ。オリンピックや時代の流れにのまれてもうこの様な異界は残っていないかも知れない。リファインされ続ける令和の東京にこんな隙間は要らないのかも知れないが、畏怖的な記憶を想起させる場所、というのもあっても良いのでは無いかと思う。「多分ここじゃないの」みたいな場所ご存知の方ぜひ教えて下さい。



元同級生の変貌

昨日中学の同級生とご飯を食べたのだけど、かつてよりもその友達が浅薄人間になってて残念だったのでその愚痴を書く。私個人の気持ちに不快に思うかもしれない。ご了承ください。私は「悪口」を書くときはその人にそれなりの親愛を込めているのだが、この人には全く親近感を持てなくなってしまった。悲しい。

 

まず、開口一番「彼氏できた?」である。できるわけねーだろ。彼氏はいないよって答えたら鼻で笑われた。なんで。ちなみにその人は男なのだが、その人も交際相手はいないらしい。矛盾してない?やっぱりそうだろうと思ったって言われたけどこのご時世仕方ないじゃん。それに彼氏がいなくても私はそこそこ幸福だし彼氏ができればそれでいいとはちっとも思っていない。ほっといてほしい。彼氏の有無は君の世界ではそんなに大事なのか。「二十歳で彼氏なしは人格を疑うから頑張れ」なんて君に言われる筋合いはどこにもない。まずは自分の心配をしなさい。

 

そしてこの人は最難関私大文系、内部進学者なのだが、他人の大学を貶さないと気が済まない病に憑かれてしまったらしい。私たちが通っていた中学はちょっと特殊で、学力至上主義で、書き表すのがめんどくさい上に憚られるから省略するが、中学生には重すぎるくらい精神的負担がかかるところだった。耐えきれない子から不登校になった。みんな同じような塾に通っていたからそこでの偏差値が学校での序列に関わってきた。ちなみに私は頭が悪かったのでそれを理由にいじめてくる人もいたよ。この人もそう。みんな受かった公立高校に落ちたせいで憐みの目を向けられていたし。ちょっと脱線したけどそんな環境にいたせいか「中学の誰がどこの大学に入ったか」っていうのは彼にとって大問題らしく、嫌いだった人が浪人していたり自分よりも偏差値が低い大学に入ったことを嬉しそうに報告してくる。「頭が悪くて滑り止めの私立に入った」筈の私が一般受験で今の大学に入ったことも気に入らないらしく、しっかり蔑んでくる。失礼すぎるだろう。こっちは無い脳みそ振り絞ってやってるんだよ。そこはお互いを尊重しようよ。特に彼の大学と対をなす大学をしきりに悪く言っていて、その根拠は〇学部(彼の学部)がこっちの方が偏差値が高いから。いや、大学は君んとこの学部だけじゃないから。そして偏差値で序列を決めるのは高校で終わりにしようよ。楽で就活につよいからっていう理由で学部を選んだ内部進学者が大学受験の偏差値を持ち出すな。

 

次ね、偏差値で人を評価するのは今始まったことではないからそこまで衝撃ではなかったけどこれは本気で残念に思った。女子を可愛いかブスかでしか判断できなくなってしまったのだ。わざわざZoomとインスタのスクショ(プリクラ)を見せてきて、こんなブスできもい、だとか詐欺だ、とか不快だ、とか言ってきた。ニキビの跡は隠せ、もっとマシな髪型をしろ、などと枚挙に暇がない。周りの女子みんなブスなんだってさ。「他人の顔の前に鏡を見よ」が信条なのでこれは許し難い。この人は自覚しているようだが良く言えば可愛い系の顔で一般的イケメンではない。まことに遺憾だったので鏡を見ろ、と言ったら俺の顔が良くないとしても他人をブスという表現の自由はある、何が悪い、と言われてしまった。確かにそれはそうかもしれないし外見から入るのは間違いではないのだが、可愛いかブスかでしか人を見ることができないのはとても危険なことではなかろうか。あとこれは個人的に勘弁してほしいことなのだが、「そんなに手の込んだ髪型してこなくていいから笑」みたいなことを私に言わないでほしい。私は体感も見た目も涼しくするために髪をまとめているのであっててめぇのお褒めに与りたいからではない。勘違い甚だしい。姫カットは男受け悪いよってわざわざ言わなくてよろしい。お前が化粧とかこだわってもだれも見ないから、などと言われなくともこちとら充分承知の上でいろいろやっているんだよ、てめぇのこともだれも興味持ってないから「自分は選ぶ側」という認識を早く捨ててください。もしかしたら名門大学の花形学部で高身長だからモテて当然、だとかすべての女性は選ばれるために服を着たり化粧したりしている、という風に思っているのかもしれないが、それは大間違いだと思う。調子に乗るな。

 

昨日ですごく嫌いな方に心が傾いてしまった。いつから遊び好きで物見高く貧しい視野の人に変わってしまったのか。自分の放った侮蔑の言葉が自分にそっくりそのまま返ってくることに気が付かないのか。「顔はパーツが所定の位置に大体ついていればいい、自分より賢くて話が面白い人がいい」といった私をその顔で高望みが過ぎる、と笑うな。世の中顔と学歴が全てじゃない。顔も学歴も大したことない私たちはどちらも武器にできない。この人は人を悪く言ってばかりだけど僻みとコンプレックスの塊が透けて見える気がしてならない。自分より優っている人の事も叩きたいみたいだ。醜悪かつ愚かだ。


この人の価値観とは相いれない部分が多すぎて私は疲れてしまった。ここまで下らない愚痴を読んでくださった方も駄文にお付き合い頂き大変お疲れ様でした。ご自愛下さい。

 

 

ストッキング

ストッキング手当てをくれ!

バカだからすぐにストッキング破いちゃうの。脚が太いってのもあるんだけど私より太い人はごまんといるからバカなせい。ストッキングはコスパが悪すぎる。安くても一足200円はするし、運が悪いと1日で死ぬ時もある。私はすぐだめにしちゃうから、つま先とか太ももに伝線が入ったのをマニキュアで固めて補修しているものをたくさん持ってるの。夏用とかのつま先ヌードタイプとか鬼門。すぐやっちまう。つま先はサポートタイプが吉。
 
余りにも破くからストッキング破りが趣味の人と協定を結んで、その人にストッキング買ってもらう替わりに伝線したら破いて存分に趣味を楽しんでもらうのも考えた。でもそんな変態と関わりたくないので、これ以上周囲の変態を増やしたくないのでやめた。
 
私が内閣総理大臣になったら全ての希望者に靴下とかストッキングを買うための業務必需品手当て、みたいな法律をつくります。
 
____深夜一時に擱筆

車窓からの景色

最近ネタ切れが激しくていろいろネタを賜っています。どうも。絶賛募集中です。好きなものと嫌いなものという話題を最近は頂きました。

 

自分は電車から見える景色の中でとりわけ好きな場所がいくつかある。どれも「田舎者が喜びそう」なものではあるが許してください。

 

まず、中央線から。秋葉原の近くのお堀?のそばに並ぶ古い建物群。ビリヤード場になっている建物があるみたいで少し高いところを走る車窓からビリヤード台が並んだ室内が見えるときがある。電気電気した秋葉原周辺との対比なのだろうか古い東京の名残が目を惹く。「ひざまくら みみかき」の看板もいい味を出している。大学に進学したら毎日この景色が見える、と思っていたのにこのザマである。無念。ちなみに私は椎名林檎様の愛好家なので受験のために中央線に乗った時は「丸の内サディスティック」を聴いてた。多分私だけじゃないと思う。ちなみに四谷から帰る時は「今夜はから騒ぎ」。紀尾井町が出てくる。紀尾井町っていう言葉わたし好きです。田舎者だからでしょうか。

 

次、多分埼京線!どうして多分かっていうと普段行く場所じゃないから。池袋周辺なんだけど、池袋の北側を通るから多分埼京線。池袋北側・西側の治安悪そうなエリアが一望できる瞬間がある。東武が見える、角海老の赤い明かりが見える。夕方の、少しずつ夜になっていく時間が一番美しい。鉄とコンクリートの黒い影と灯り始めたネオンの明かりが闇深い池袋らしい。このブログを良く読んでくださっている人はそろそろ私が昭和の残り香が漂うものや歓楽街の雰囲気が気になっている、ということにお気づきになっていらっしゃると思う。こういうものが好きな癖にビビりなので足を踏み入れたことはない。

 

最後ね、鶯谷から御徒町までの京浜東北線。特に夜。昼間も暗そうな空気感の鶯谷(降りたことはない)の夜の明かりは初めて見たとき、多分小学生だったがかなり魂消た。まさに異界。そこから急なカーブの過ぎて上野駅。カーブ曲がる時に「めんたいパーク」の看板が見えるんですけど、めんたいパークは明太子の試食がたくさんできる明太子天国なのでおすすめの場所です。大洗にあります。ガルパン聖地巡礼後にいかがでしょうか。上野から御徒町の賑わいって素敵。この辺りの何故か沢山ある宝石屋さんの看板が好き。アメ横の明かりが好き。私おととしの冬にアメ横に行ったんですけど、真冬に中国人経営の屋台で食べた冷麺くそおいしかったです。なんでなんだろう。一緒に居た人にこんな寒いのに冷麺かよって突っ込まれたけど。翌日もアメ横に行ってもんじゃ食べました。これもくそおいしかった。アメ横っておいしいものしかないんですか?(東京タワーに行った日の話ね。)

女の子に生まれて

自分は心身共に女性である。女に生まれたことを私は肯定している。多少の不満というか疑問のような物はあるが基本的に女に生まれて良かったと思っている。まあ、自分のどう足掻いても変えられない根幹的な部分というのは受け入れていかないと生きていくのが辛いだけではあるが。今日書きたいのはその疑問の様なもののこと。

 
この話は私がこの世に生まれ落ちた日の事から遡らなくてはいけない。母曰く、私が生まれて開口一番、祖父は母に「次は男の子な」と言い放ったらしい。普通、少なくとも私の常識の範囲内では棺桶に片足突っ込みながら全力で子を生んだすべてのお母さんと言うのは無条件に祝福されるべきではないのか。「健康な子が生まれたよ、おめでとう」だとか「お母さんも無事で本当に良かった」だとか「私達が支えるからゆっくり休んでね」等々の声を掛けられ、労られるべきではないのか。そもそも素朴な疑問なのだが次は男の子って念じれば男の子は生まれんの?訳がわからない。私は長子で、下には妹しかいないのだが、もし弟だったら弟ばかり甘やかされて私はいづれ嫁いで家を出るものとして空気の様に扱われていたのではないかと想像してしまう。一応言っておくがうちは後継が必要な社長一族でもないし華族士族の血を引いている訳では無さそうだし受け継ぐべき財産がある資産家や地主ではない。超弩級の一般庶民だ。あと、女の子が誕生した時の定番のセリフに「老後の面倒を見てくれるから女の子でよかったね」というものがあるが、これもいかがなものかと思う。時代柄仕方がないのかも知れないが。
 
生まれたら生まれたで祖父母は私を全力で甘やかしてくれたのだが、事あるごとに「女の子だから」という呪いの様なものを掛けられてきた。私は中高大とわざわざ3回も受験するという大変回りくどく非効率な進路選択をしてきたがそのたびに女の子だから中学受験なんてしなくても、だとか高校は高望みしなくても、だとか短大でいいんじゃない、だとかこっち(祖父母が住んでる県)の大学に入って戻っておいで、と言われ続けている。女はどうせ結婚して家庭に入るから学歴は要らない、というのが祖父母や親戚の見解らしい。しかしこのご時世妻を専業主婦にしてきちんと家族を養える旦那、というのも少ないしその様な男性は無教養な田舎娘ではなく知的な洗練された女性と結婚するのではないか。知らんが。兎も角今の時代は男も女もどちらでもなくても力を合わせて全力で働いて行かないと食べていけないのではないか。そもそも学歴や資格を持たずに家庭に入ると経済的に結婚相手に生活の全てを握られてしまう。相手に依存しないと生きていけないのは困る。私は心身の独立を尊んでいる。祖父母はじめ親戚は進路が決まったら決まったで祝ってはくれるが、少々相容れない部分がある。いま通っている(オンラインだが)大学も知名度は低いがまあまあ程度の良い所、むしろ私大的にはそこそこ良い?所なのに東京の大学、という事で少し嫌な顔をされた。やはり地元の大学に行って欲しかったらしい。地元ではないがそこまで偏差値の高くない大学にスポーツ推薦で入った従兄の方が喜ばれていた。そこの知名度は全国区なので結局知名度かよ、というのもある。従兄たちのことを「金の卵」と形容して居るあたり価値観が古い。
 
うちは北関東だがこの呪いの強さは家庭や地域によって差がありそうだ。高校同期とこの話になった時、東北にルーツがある子は弟ばかり大事にされる事を悲しんでいた。私だってがんばっているのに、弟よりもできているのに、と。実際彼女は大変な努力家でとても優秀である。彼女の祖父母宅では食卓は男女別で女性は忙しく男性の豪華な食卓の世話に立ち働いているという。彼女と私は女の子である不利益を励まし合っていた。逆に千葉の子は私や東北の子の話が信じられない、と言っていた。親戚のおじさん達も揃って食事の準備をするらしい。うちでは年末の餅つきの様な力仕事すら女性の役目で、祖母、伯母、母、私でもち米を蒸したり餅つき機を操作したり出来た餅を捏ねたりしているのである。その間祖父、伯父、従兄2人、父は寝転んで早速餅を食べたり駅伝を見たりしている。さすがの祖母も疲れたらしく餅つきイベントは終了した。正月やお盆で集まった時も男性陣は何にもしないで食べてばかりだ。私は若い女の子だから、とお酌をさせられる。意味不明。酒ぐらい自分で注げ。まだ小さい妹には将来絶対にやらせたくない。一番残念なのは日頃私に男女平等を説く母が率先してお酌をさせようとする事だが。母方の祖父母は私の進路ややりたい事を全部応援してくれるので地域や年代で意識の差がある、とは一概に言えない。
 
ここまでされると外孫の従兄が内孫だったらよかったと祖父母は思っているのではないかとすら思えてくる。散々日頃の疑問の様なものをつらつらと書き連ねておいて誤解を招いてしまうかも知れないが私は祖父母や親戚が好きだ。そこは間違えないで欲しい。この価値観の中で育ち、年を重ねてきた人の考えを変えようとは私は思っていない。また、父の仕事の都合で出身地を去り、転居先で中学受験をしたり教育熱心な環境の中にいれてよかったと思っている。もしずっと祖父母達の町で暮らしていたら呪いに気付くことすらなく、一切の疑問を抱かずにいただろう。
 
願わくば生まれたそばから失望され、「女の子だから」と呪いを掛けられて育つ子がこれ以上増えませんように。合掌。
 
 
 
 
 

視力が悪いだけなのに

私は何故か眼鏡をかけた人を好きになりやすい。周りからも(母すらも)そのことを良く指摘される、自他ともに認める眼鏡好きなのである。今日はほんとにネタが思いつかないのでこんなしょうもない話をします。

 

一応眼鏡かけている人が好きなのではなくて好きな人がたまたま眼鏡ユーザーである、という解釈をしている。好きなタイプは?と聞かれたら「私より頭がよくて話が面白い人」と答えてます。そして誤解されがちなのだがガリ勉チー牛タイプが好きというわけでもない。決してそういうわけでは無い。チーズ牛丼は最強の胃もたれフードなのであれを食べる人とは食の好みが合わない。

 

有名人で言うと、ギタリストの長岡亮介様のような大人の色気溢れる感じの人が好きなのである。長岡様は椎名林檎様と共演するときは浮雲名義で活動しており、星野源の隣に常駐しているギタリストです。素敵。

 

長岡様はさておきどうして一般人眼鏡ユーザーが好きなのかは分からん。ただ視力が悪いだけなのに私に好かれるのはさぞかし迷惑だろう。大迷惑極まりない。私は面倒くさい女なので。

 

さっき「ガリ勉が好きなわけではない」と「私より頭がいい人が好き」で自己矛盾を起こしたのだが、私の深層心理的に眼鏡ユーザー=賢いという図式ができているのかもしれない。「ガリ勉が好きというわけではない」というのは眼鏡に無頓着でただかけているのだけの人は嫌だ、というお気持ちの表れか。

 

私きもすぎだな、いくらネタに困っているとしてもきもすぎる。もうやめよう。

 

 

 

 

東口を出たら

県民、というか市民にしか通じないかもしれないのだが、自分は大宮駅東口周辺の雰囲気が好きだ。首都圏最北のターミナル駅はどこか北関東の匂いがする。そして賑わいの中に底なしの暗闇がある。旧い街らしい場末がある。神社がある。大栄橋はさしずめ異界との結界か。人間の情念と人間の及ばぬ力が混じっている。

 

東口をでで左手へまっすぐ、大栄橋を過ぎるとラビット薬局、そして北銀座と呼ばれる風俗街がある。住宅街の中に忽然とたたずむソープランド群。用がないため昼間しか通ったことが無いが異様である。風営法かなにかの法律でこのような業態の店舗は新築ができないのでこのまま古びていくのだろうか。赤線の名残がこの地の古さを際立たせている。

 

東口から大栄橋に行きつくまでの間は歩行者天国になっている。東口周辺で一番にぎわっている。ドン・キホーテやゲームセンターがあり、高校生も多い。この通り(銀座通り)からは「すずらん通り」「一番街」のようなアーケードの細道が伸びており、居酒屋などの飲食店が軒を連ねる。これらの路地は旧中山道に通じている。昭和感満載の風情がある。

 

東口からまっすぐ目抜き通りを行くと、地下道へ通じる階段がある。実は怖くて地下に行ったことが無い。興味はあるのだが。使っている人は見たことがない。どうやらこの地下道はかつてあったデパートの名残であり、今は眼鏡屋さん一軒のみが地下街で営業しているらしい。廃墟的な雰囲気が気になって仕方がない。

 

東口から銀座通りを右手に行くと南銀座という繁華街。キャバクラやら居酒屋が立ち並び、夕方のだいぶ早い時間から黒服のお兄様方が立っている。袋小路にはこちらも昭和の空気を残しているスナックが二階建ての長屋のような風情で並んでいる。昔は映画館だったような蔦に覆われた建物がある。かと思えば木造の古民家もある。南銀座のはずれにはラブホテルがあり、その前を通る時にそこから出てくる人がいると人間の生活、のようなものを考えさせられる。

 

南銀座を抜けると線路沿いの壁に子どもが描いたであろう少し不気味な絵が描かれている。壁画の先はいよいよ新都心である。新都心は南銀座の猥雑さとは打って変わって埼玉で一番洗練された綺麗な街だ。冬には青いイルミネーションが燈り、ショッピングモールはいつもにぎわっている。家族連れも多い。真新しい高層ビルが林立する。私はこの差に眩暈を覚える。

 

新都心には氷川参道の入り口がある。この参道はいつでも大変清らかな空気が流れている。先述の東口から延びる目抜き通りの先は参道に通じている。背の高い木が並び、大宮駅周辺の混雑からは別世界の呈。旧い街には場末と神社という異界がある。

 

自分は東口に九龍城的な何かを感じてしまうのである。戦後の風景、今の日本の原風景が大宮駅東口には残っているのではないだろうか。大宮にお越しの際はどうぞそのような気配を感じ取って欲しい。