夜間飛行

丸をください

選ぶ側と選ばれる側

n回目の「どうしてお前は選ぶ側だと錯覚しているのか?」である。自分は数弱だから偉ぶって数学用語を使うとそのうちボロがでるので「n回目」を使うのは今後避ける。

 

世の中で生活しているとその場に存在するだけで容姿を勝手に比較・評価されることがある。本当に辞めて欲しい。どうしてお前なんかに私の外見を評価されないといけないの?その権利貴方にある?どうして自分は選ぶ側だと思ってんの?なぜ?その自信はどこから湧いてくるの?

 

私は忘れないからな。生まれて初めて外見で扱いを変えられた時は悔しくてむせび泣いた。許すまじ。「そこそこかわいい子」で通用した小学生だったし、容姿より偏差値が重んじられた中学校に通っていたし、すべての女の子に人権があった女子高出なので、露骨に外見がものをいう世界に足を踏み入れたのは実は大学が初めてだ。てめぇの好みの外見じゃなくて悪かったな!!

 

てめぇのために髪を巻いて化粧をして服を着て笑っているんじゃない。てめぇの好みの女になろうとなんてしていない。てめぇに愛されたいなんて思ってない。私はほかでもないわたし自身が私を大事にできるように、なりたい姿に少しでも近づけるようにやっているだけ。勘違いするな。決して誰かに選ばれるためではない。

 

私たち(たち?他の人は違うポリシーで生きてるだろうから一くくりにできないけど一応。)がいつまで経っても選ばれる側にいるのはどうしてなんだろうって思った。誰か教えてください。

 

さっき「容姿より偏差値が大事だった中学校」って話をしたけど、完璧にそうだった訳ではなく、 お年頃の集団なので多少は容姿が話題に上ることもあった。当時そこまで気にしてなかったし失礼しちゃうわ位に思ってたけどよくよく考えるとん?ってなる話がある。ざっくり言うと、「顔は〇〇(私)体は△△(別の子)」とクラスの男子が好みのタイプを語っていた。きもい。きもすぎる。中学生の何気ない話だと片付けてしまえばそれだけのことだ。それでも(こんな風に思うのは仕方ないとしても)身近な女性を欲望を含んだまなざしで見ていることをパブリックな場で発言するのは褒められたことではない。選ぶ側である意識が弱冠14歳の段階からすでにあるのだろう。この話のせいで私は無駄に恥ずかしい思いをした。仕方ねーよお前胸ないから、などと沢山言われたように記憶している。今だったら全員倒す。

 

だからといって他人の容姿と美醜を考えることは否定しないしできない。人間は美しいものが好きだから。でもそれを態度や言動に表すのはいかがなものか。その気持ちはぜひ心の中にしまっておいてほしい。好ましくない、醜いと思うものをあげつらって蔑むことは特に。いつか痛い目を見る。

 

てめぇのせいで人からどう見られているのかが分からなくて怖いんだよこっちは。自分の好きなように爆走して生きていく所存だけど、たまーに我に返る。これでいいのかすごく不安になる日がある。自分の顔が嫌いになりすぎて鏡を見れない日がある。薄志弱行。そろそろあらゆる矛盾のボロが出てきそう。

 

私の顔や体はお前の基準で評価されるものではないし、お前の基準で測れるものではない。そこんとこよろしくお願いしたい。さっきから顔顔顔顔うっせえな自意識過剰だわと思われるのは仕方ないと思っております。でも顔って人の重要な判断材料でしょう?侮れないと思うし自己満足的に重要な要素なので私はよく顔について考えてる。

 

「選ぶ側」だと勝手に思い込んで他人の品定めをするお前なんかこちらから願い下げだ。いつまでも「選ぶ側」の椅子でふんぞり返っているなよ、蹴り落とすぞ